おとろし

おとろし：謎に包まれた江戸時代の妖怪

江戸時代中期以降の妖怪絵巻や絵双六などに登場する「おとろし」は、その正体不明さから、多くの謎に包まれた妖怪です。本稿では、複数の絵巻物や文献を参照しながら、おとろしの特徴や、その解釈、関連する伝承などを詳細に解説します。

妖怪画におけるおとろし

佐脇嵩之の『百怪図巻』（1737年）、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』（1776年）をはじめ、『化物づくし』『化物絵巻』『百鬼夜行絵巻』といった複数の絵巻物や、絵双六『十界双六』などに「おとろし」は描かれています。これらの作品では、長い髪で顔を覆い隠した、特徴的な姿で表現されています。しかし、どの作品にも詳しい解説はなく、どのような妖怪なのかは不明です。

名称も一定しておらず、『百怪図巻』や『画図百鬼夜行』では「おとろし」と記されていますが、『化物づくし』では「おどろおどろ」、『百鬼夜行絵巻』では「毛一杯」という名称も見られます。多田克己氏は、「おどろおどろ」は「おどろおどろしい」からの転用で、また「おとろし」は「恐ろしい」の方言であると指摘しています。どちらも「恐ろしい」という意味合いを持つ言葉であることから、名称の差異は誤読や方言によるものと考えられます。「おどろおどろ」という名称には、ぼうぼうとした長髪を意味する「棘髪（おどろがみ）」という語も関係している可能性も示唆されています。

興味深いのは、『百怪図巻』や『画図百鬼夜行』では「おとろし」が「わいら」と並んで描かれている点です。「わい」は「畏（わい）」に通じ、恐れを意味することから、「おとろし」と「わいら」は、恐怖を具現化した妖怪のペアとして解釈されることもあります。

伝承と創作

おとろしに関する明確な民間伝承は確認されていません。昭和以降の妖怪関連文献や児童向け図鑑では、神社で悪戯をする子供を懲らしめる存在として、上から落ちてくるという記述が見られますが、これは『画図百鬼夜行』の絵（鳥居の上に乗っている）を元に創作された可能性が高いと、村上健司氏は指摘しています。山田野理夫氏の『東北怪談の旅』（1974年）に収録された福島県の伝承も、裏付けとなる資料はなく、創作の可能性が高いと考えられています。

地域伝承との関連性

秋田県に伝わる伝承の中に、「さへの神坂」という坂道に関する記述があります。妖怪画のおとろしとの関連性は不明ですが、この坂道には何らかの妖怪伝説が存在していた可能性が示唆されます。また、『久保田城下百物語』には、「長野坂檜山屋敷のおどろし」という妖怪が登場しますが、絵巻物のおとろしとの関連性は不明瞭です。

「ししこり」との関連

『化け物尽し絵巻』では、「おとろし」が「ししこり」という名称で紹介されています。この絵巻では、登場する妖怪の名前がすべて変更されているため、その理由を特定することは困難です。詞書によると、ししこりは巨大な妖怪で、牛馬を食べてしまうほど強力な存在であったとされています。

まとめ

「おとろし」は、その姿や名前、伝承など、多くの謎に包まれた妖怪です。絵巻物などに描かれた姿から、人々を恐怖に陥れる存在であったことは想像できますが、その詳細な生態や伝承については、今後の研究が待たれます。複数の文献を比較検討することで、その姿や性質、伝承に関する断片的な情報が見えてきますが、依然として謎の多い妖怪であることは間違いありません。今後の研究により、より詳細な情報が明らかになることを期待したいです。

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