アイルランド卿

アイルランド卿：名目と現実の狭間で揺れたアイルランド支配

1171年から1541年までの約4世紀間、アイルランドの君主は「アイルランド卿（Lord of Ireland）」の称号を有していました。この称号は、アイルランドを統治する君主を指しますが、現代の感覚では「卿」という訳語は必ずしも適切ではなく、「アイルランド領主」「アイルランド太守」「アイルランド君主」といった訳語も用いられます。

この称号の起源は、1154年にローマ教皇ハドリアヌス4世がイングランド王ヘンリー2世にアイルランド支配の権利を与えたことに遡ります。教皇の目的は、カトリック教会から独立し、異端思想が蔓延していたアイルランド教会をカトリックの傘下に収めることにありました。ヘンリー2世は教皇の意図を受け、1171年にアイルランドへ侵攻し、東岸地域を制圧。アイルランドの諸王から服従を誓わせました。

アイルランド卿の称号を得たヘンリー2世は、アイルランドを自分の末子ジョンに与えました。その後、ジョンがイングランド王位を継承すると、アイルランド卿の称号はイングランド王位と共に継承されることになります。

しかし、アイルランド卿の支配権は名目上アイルランド全土に及ぶものでしたが、実際にはダブリンを中心とした東部の「ペイル」と呼ばれる地域に限定されていました。アイルランド全土を支配下に置くことは、この称号が用いられた時代を通して実現しませんでした。

さらに、この称号は教皇から与えられたものであり、名目上は教皇の権威に服していました。この状況に変化が訪れたのは、ヘンリー8世の時代です。自らを国教会の長と宣言し、カトリック教会からの離脱を図ったヘンリー8世は、アイルランド議会の承認を得て、1541年に「アイルランド王（King of Ireland）」の称号を新たに採用しました。これにより、「アイルランド卿」の称号は歴史の舞台から退場し、アイルランド王の称号がイングランド王位と共に継承されることとなったのです。

アイルランド卿の称号は、イングランドによるアイルランド支配の歴史における重要な転換期を示すものです。名目上の全土支配権と、現実の限られた支配地域の対比は、イングランドとアイルランドの関係がいかに複雑で、力関係が不均衡であったかを象徴的に示しています。この称号の変遷は、アイルランドの歴史、そしてイングランドとアイルランドの関係性を理解する上で重要な要素となります。アイルランドの歴史、アイルランド王国、アイルランド議会（1297-1800）といった関連事項を紐解くことで、より深い理解へと繋がります。

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