アジェナ標的機

アジェナ標的機（Agena target vehicle, ATV）は、1960年代にアメリカ航空宇宙局（NASA）が推進した有人宇宙飛行計画、ジェミニ計画において重要な役割を果たした無人宇宙機です。この機体の主要な目的は、宇宙空間における二つの宇宙船のランデブー（接近遭遇）とドッキング（物理的結合）という、当時としては極めて高度な技術の実証と確立を図るための標的となることでした。

開発と由来

アジェナ標的機は、ゼロから新たに開発されたものではなく、元来、アメリカ空軍が偵察衛星プログラムのために開発を進めていた「アジェナ」というプラットフォームを基にしています。ジェミニ計画の要件に合わせて、アジェナの機体に宇宙船との結合を可能にするドッキング機構や、ランデブー・ドッキングに必要な姿勢制御・軌道制御システムなどを増設・改修することで誕生しました。既存の技術を応用することで、開発期間の短縮とコスト削減が実現されました。

運用と試験ミッション

ATVは、通常、フロリダ州のケープカナベラル空軍基地にある第14発射台（LC-14）からアトラス・ロケットによって宇宙へ打ち上げられました。ATVが設計された軌道に投入され、システムチェックが完了した後、およそ90分後（これは地球を1周するのに要する時間にほぼ相当します）、宇宙飛行士を乗せたジェミニ宇宙船が同じ基地の第19発射台（LC-19）から打ち上げられ、ATVを目標として追跡を開始しました。

ATVとのランデブーおよびドッキングは、ジェミニ計画における最も重要な目標の一つでした。ドッキングが成功すると、ATVとジェミニ宇宙船は一体となった複合宇宙機として、様々な技術試験が実施されました。

主な試験内容は以下の通りです。

軌道上ランデブー・ドッキング技術の実践: 宇宙空間で目標に正確に接近し、安全に結合する一連の複雑な操作手順と技術（誘導、航法、制御）を習得・実証しました。これは、後のアポロ計画で月軌道上の司令船と月着陸船が合体するために不可欠な技術でした。

ドッキング状態での複合体制御: ドッキングして一体となった、より大きく重い宇宙船の姿勢や軌道を制御する技術の検証が行われました。ジェミニ8号では、ドッキング後にジェミニ宇宙船の推進器の故障により複合体が激しく回転し、ミッションが緊急中止されるという事態が発生しました。これは、このような状況下での安定制御の重要性を浮き彫りにしました。

船外活動（EVA）プラットフォーム: ATVは、ドッキングしたジェミニ宇宙船から船外に出た宇宙飛行士が作業を行うための安定した足場や、船外での実験装置を設置する場所として利用されました。軌道上での船外活動能力の研究と訓練に貢献しました。

ATVエンジンによる軌道変更: ドッキングした状態で、ATVの主エンジンを噴射させ、ジェミニ宇宙船を含む複合体全体の軌道を変更する試験が行われました。これにより、より高高度の軌道への遷移などが試みられ、将来的な宇宙ミッションにおける軌道マヌーバの可能性を探りました。

* 重力勾配安定化の基礎試験: ATVとジェミニ宇宙船を約30メートルのテザー（丈夫な紐やワイヤー）で繋ぎ、地球の重力勾配を利用して機体を自動的に安定させる（常に地球の方を向くようにする）技術の基礎的な検証が行われました。これは、将来の宇宙構造物やテザー推進システムの研究につながるものでした。

ミッションの終了

ほとんどのアジェナ標的機は、それぞれのミッションが完了すると、速やかに軌道から離脱するよう制御され、大気圏に再突入して燃え尽きる形でその役割を終えました。これにより、使用済みの機体が長期にわたって軌道上に留まり、宇宙ゴミとなることを避ける運用がなされていました。

アジェナ標的機は、ジェミニ計画における連続したミッションを通じて、宇宙空間でのランデブーとドッキングという、人類が地球周回軌道を超えて宇宙へ進出するために不可欠な基盤技術の確立に決定的な貢献をしました。その経験と知見は、後のアポロ計画における月面着陸の成功に直接的に繋がるものであり、宇宙開発史において重要な役割を果たした機体と言えます。

もう一度検索