アブラハム渓谷

アブラハム渓谷：現代ポルトガルのボヴァリー夫人

マノエル・デ・オリヴェイラ監督による1993年のフランス・ポルトガル・スイス合作映画『アブラハム渓谷』は、ギュスターヴ・フロベールの不朽の名作『ボヴァリー夫人』を現代ポルトガルの舞台に置き換えた、3時間を超える壮大なドラマです。監督が84歳という高齢で手がけたこの作品は、アグシティナ・ベッサ・ルイーシュによる小説を基に、オリヴェイラ監督自身が脚色しました。

物語の中心人物であるエマは、14歳から20歳までの年齢を、それぞれ異なる容貌を持つ若手女優、セシル・サンス・デ・アルバとレオノール・シルヴェイラが演じています。この大胆なキャスティングは、エマの成長と変化、そして内面の葛藤を効果的に表現しています。

舞台となるのは、ポルトガルのドウロ河に沿う美しいアブラハム渓谷。この地は、監督が22歳の時に初めて監督した映画『ドウロ河』の舞台ともなった、監督にとって特別な場所です。映画全体を通して、ドウロ河の雄大な自然と、エマの人生が対比的に描かれます。

物語は、医師カルロシュ・デ・パイヴァが14歳のエマと出会うことから始まります。裕福な家庭で育ったエマは、美しく、自由奔放な性格です。数年後、より一層美しく成長したエマと再会したカルロシュは、彼女に惹かれ、結婚します。しかし、カルロシュの無関心な態度や、姉たちの悪口など、エマを取り巻く環境は決して穏やかではありません。

エマは、ある日、ルミナレス夫妻主催のダンスパーティに参加します。これがきっかけで、エマの人生は転換点を迎えます。彼女は複数の男性と関係を持ち、浪費にふけります。フェルナンド・オゾリオの農園に通い詰めるようになり、その生活はますます破滅へと向かいます。

エマの浪費を支えるように現れたのが、かつて農園の執事をしていたカイレスです。彼はエマに恋心を抱き、彼女のために投機に手を染めますが、かえってカルロシュを窮地に陥れます。カイレスの弱みにつけ込むような愛情に、エマは毅然とした態度で別れを告げ、ヴェスヴィオ園に向かいます。

ドウロ河の岸辺で、エマは足を滑らせて水に落ちてしまいます。そして、あっけなく、短い生涯を終えます。数日後には、カルロシュも公園で亡くなっているのが発見されます。

『アブラハム渓谷』は、単なる恋愛ドラマではありません。1993年、サンパウロ国際映画祭で批評家賞、東京国際映画祭で最高作品貢献賞を受賞したこの映画は、現代ポルトガルの社会構造や、女性の生き方について深く考えさせられる、オリヴェイラ監督の代表作の一つと言えるでしょう。監督の熟練した演出と、豪華なキャスト陣の演技が見事に融合した、忘れがたい作品です。

この映画は、単に『ボヴァリー夫人』を現代ポルトガルに置き換えただけでなく、オリヴェイラの視点を通して、新たな解釈を加えられた、監督自身の成熟した表現が凝縮された作品となっています。美しい映像と重厚な物語、そして、繊細な人間ドラマが、観る者の心を深く揺さぶります。

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