インシデント・コマンド・システム

インシデント・コマンド・システム（ICS）とは

インシデント・コマンド・システム（Incident Command System、ICS）は、災害や事件などの緊急事態において、現場での指揮・命令系統や情報共有を円滑に行うための標準化された管理システムです。別名、インシデント・マネジメント・システム (Incident Management System) とも呼ばれます。

ICSの最大の特徴は、命令系統や管理手法が標準化されている点です。これにより、異なる組織や機関が連携して対応する際に、混乱を最小限に抑え、効率的な活動が可能になります。

このシステムは、1970年代にアメリカで消防によって開発されました。当初は山火事への対応を目的としていましたが、その後、他の行政機関や民間組織にも利用が広がり、現在では緊急事態対応におけるデファクトスタンダードとなっています。

特に、2004年にアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁（FEMA）が制定した国家インシデント・マネジメント・システム（NIMS）では、アメリカ国内で発生するあらゆる緊急事態にICSを適用することが義務付けられています。

ICSは、日常的な事故からテロ事件や自然災害まで、あらゆる緊急事態に対応できる柔軟性を持っています。また、自主防災組織や地域防災、原子力防災といった分野だけでなく、コンサートやオリンピックのようなイベントでも活用されるなど、幅広い場面でその有効性が認められています。

ICSの歴史

1970年代のアメリカでは、頻発する山火事に対応する中で、従来の指揮系統に多くの問題点が浮上しました。具体的には、以下のような課題がありました。

一人の指揮官に多数の部下が報告するため、処理能力が限界に達していた。
関係機関ごとに組織構造が異なり、連携が困難だった。
信頼できる情報が不足していた。
通信機器や手順が統一されていなかった。
関係機関間で共通の計画を立てるシステムがなかった。
指揮命令系統が不明確だった。
関係機関で使用する用語が統一されていなかった。
目標が不明確だった。

これらの問題を解決するため、1979年に合衆国消防庁国立消防大学校（FEMA傘下の教育研修機関）が、以下のコンセプトに基づきICSを開発しました。

緊急事態の規模や種類を問わず、柔軟に適用できるシステムであること。
日常的な事故から大規模な災害まで、あらゆる緊急事態に対応できること。
様々な機関から集まった職員が、共通のマネジメント構造に迅速に適応できること。
費用対効果の高いシステムであること。

ICSは、当初は山火事対策として開発されましたが、刑事事件、危険物事故、地震、台風、感染症、テロ災害など、多様な事態に適用できることが証明され、デファクトスタンダードとして全国に広がりました。現在では、NIMSの中核をなすシステムとして、あらゆる現場で活用されています。

一般市民が組織する自主防災組織（CERT）をはじめ、医療機関、事業所、公共機関など、様々な組織で採用されており、「自助・共助・公助」のすべてのレベルで広く利用されています。

ICSの仕組みと特徴

ICSは、以下の5つの基本機能（ファンクション）を中心に構成されています。

1. 指揮 (Command)：全体の指揮を執る。
2. 実行 (Operations)：現場での活動を指揮する。
3. 計画情報 (Planning)：情報収集、分析、計画立案を行う。
4. 後方支援 (Logistics)：必要な物資、人員、サービスを提供する。
5. 財務・総務 (Finance/Administration)：経費管理、契約、記録を担当する。

これらの機能は、状況に応じて必要な資源（人や物）を柔軟に割り当てることができます。

ICSでは、一人の監督者が管理できる人数を5人（状況に応じて3～7人）に制限する「監督限界」が定められています。これにより、現場では必要に応じて、ボトムアップ方式で臨時の組織（プロジェクトチーム）が編成されます。

現場指揮官（Incident Commander）は常に必要ですが、他の組織は必要に応じて後から追加されます。例えば、現場に到着した当初は現場指揮官と2人の部下で対応していた場合、増員が必要になった時点で、現場指揮官は増員を要請し、到着した10人を2つの班に分け、班長を任命します。これにより、指揮系統が明確になり、円滑なコミュニケーションと人員管理が可能になります。

組織構造、名称、計画書の様式、通信方法などが標準化されており、関係者間で情報が共有されます。

また、アメリカでは、現場での意思決定は現場指揮官が行います。上位組織（州政府や連邦政府など）は、現場指揮官からの要請に応じて支援を行います。

現場指揮官の権限委譲も柔軟に行われ、原則として対面で、組織内外に周知される必要があります。

ICSの組織構造

ICSの組織は、以下の5つの機能（Functions）を中心に構成されます。これらの機能は、必要に応じて独立した組織を編成することも、一人の現場指揮官が兼任することも可能です。

指揮部 (Command)：現場指揮官（Incident Commander）と、広報官、安全監督官、渉外官から構成されます。現場指揮官は必ず必要ですが、他の職は必要に応じて任命されます。
広報官：一般市民、関係者家族、報道機関への情報発信を担当します。
安全監督官：現場の安全管理を担当し、危険な状況を監視し、必要に応じて作業中止命令を発令する権限を持ちます。
渉外官：関係機関との連絡調整を担当し、各機関の能力を最大限に発揮できるように調整します。

実行部 (Operations)：現場での活動を指揮する部門です。現場指揮官の直接指揮から始まり、必要に応じて地区隊、班、支部が編成されます。勢力（人や物）は、単独勢力、混成部隊、専門部隊に分類されます。また、任務が割り当てられるまで待機する場所を「待機所」と言います。

計画情報部 (Planning)：情報収集、現状報告書の作成、評価、現場作業計画（IAP）の作成など、計画に関わる業務を担当します。勢力係、状況係、文書係、解除係に分かれます。

後方支援部 (Logistics)：通信、医療、食料、手配、施設管理、輸送など、現場活動に必要な後方支援業務を担当します。補給支部と支援支部に分かれ、それぞれに通信係、医療係、食料係、手配係、施設係、輸送支援係が置かれます。

財務・総務部 (Finance/Administration)：費用の把握や調達に必要な契約を担当します。労務係、契約係、賠償係、費用係に分かれます。

指揮の形態

緊急事態の規模によって、単独指揮（Single Command）と合同指揮（Unified Command）の2つの形態があります。合同指揮は、複数の機関が連携して対応する場合に、各機関の代表者が合議で意思決定を行います。

また、複数の現場で同時進行で災害が発生している場合や、大規模災害で複数の指揮管理が必要な場合は、地域・方面指揮が立ち上げられ、地域・方面指揮官が指揮を執ります。

施設

ICSでは、以下の施設が使用されます。

現場指揮所 (ICP)：現場指揮官が常駐し、全ての命令を発する場所。計画情報部も設置されます。
集結場所 (SA)：勢力が集まり、任務の割り当てを待機する場所。
基地 (IB)：後方支援業務を行う場所。ICPと同じ場所に設置されることもあります。
キャンプ：関係者に宿泊や食事を提供する場所。
ヘリベース：ヘリコプターの駐機、整備、燃料補給を行う場所。
ヘリスポット：ヘリコプターが離着陸し、荷物の積み下ろしを行う場所。

統一された用語

ICSでは、関係者間の意思疎通を円滑にするため、組織名称や用語が標準化されています。通信の際には、必ずこれらの標準化された用語を使用し、一部の者しか理解できないコールサインのような用語は使用しません。

統一された現場作業計画 (IAP)

現場作業計画（IAP）は、口頭または書面で作成する必要があり、様式が統一されています。

IAPには、主に以下の書類が含まれます。

目標シート：達成すべき目標を記載したもの
組織図：組織構成を記載したもの
戦術および勢力配備：目標達成のための戦術と、人員や資機材の割り当てを記載したもの
参考文書：通信計画、医療計画、地図、輸送計画、気象情報、特殊警報、安全警報など

統一されたルール

ICSでは、すべての関係者が共通して従うべきルールが定められています。これらのルールには、指示の受け方、備品の準備、チェックイン、通信方法、ブリーフィングなどが含まれます。

米国インシデント・マネジメント・システム (NIMS)

2001年のアメリカ同時多発テロ事件を契機に、2003年2月にブッシュ大統領が国土安全保障省発行のHSPD-5に署名し、ICSを基盤としたNIMSが採用されました。NIMSは、ICSに加え、州政府や連邦政府による支援プロセスも定め、アメリカ国内のあらゆる緊急事態に対応するための基本的なマニュアルとなっています。

NIMSは、あらゆるハザード（危険要素）に対して同じ方法でアプローチする（オールハザードアプローチ）ためのマニュアルとして位置付けられています。

NIMSでは、緊急事態が発生するとまず現場にICS組織が立ち上がり、現場での作業に不足が生じた場合は、地元の緊急事態センター (EOC) を通じて、州、連邦政府へと支援を要請します（ボトムアップ方式）。

連邦政府は、緊急事態支援機能 (ESF) を通じて、各省庁が連携して支援を行います。ESFには、輸送、通信、公共作業、消防、情報、避難施設、補給、公衆衛生、捜索救助、危険物、農業、エネルギー、公安、復興、対外調整など、15の機能が定められています。

アメリカ以外のインシデント・マネジメント・システム

ICSと同様のインシデント・マネジメント・システムは、オーストラリア、イギリスなどでも導入されていますが、アメリカほど全国的に普及しているわけではなく、主に消防組織で利用されています。組織名称などは多少異なりますが、監督限界やボトムアップによる組織編成などの基本的な考え方は共通しています。

ICSのメリット

ICSには、以下のメリットがあります。

組織が大きくなりすぎず、官僚制の弊害を防ぐことができます。
用語、様式、手続きが標準化されているため、関係者間の意思疎通が円滑になります。
組織内の情報伝達がスムーズになり、迅速な動員や物資の流通が可能です。
運用上の傾向を把握しやすく、混乱やミスを抑制できます。
目標管理により、関係者の主体的な行動が期待できます。
現場指揮官が、上位組織からの過度な介入を受けることなく、迅速な意思決定ができます。
* 調整コストを最小限に抑えられます。

ICS教育

ICSを円滑に運用するため、アメリカでは多くの研修機関が設置されており、FEMAなどはインターネット上で無料の研修コースも提供しています。

段階的な研修コースが用意されており、これらのコースを受講することが昇進の条件となったり、特定の職種では必須の研修項目となっている場合もあります。

日本では、ICSに相当するシステムはまだ導入されていません。導入には、システムの標準化や関係者の教育が必要となります。

まとめ

インシデント・コマンド・システム（ICS）は、緊急事態における効果的な指揮・管理を実現するための重要なツールです。その柔軟性と効率性から、世界中で広く採用されています。日本においても、導入に向けた取り組みが進められることが期待されます。

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