ウィリアム・ヴィックリー

ウィリアム・スペンサー・ヴィックリー

ウィリアム・スペンサー・ヴィックリー（William Spencer Vickrey, 1914年 6月21日 - 1996年 10月11日）は、カナダで生まれ、主にアメリカ合衆国で活躍した著名な経済学者です。長年にわたりコロンビア大学の教壇に立ち、多岐にわたる分野で経済学に貢献しました。特に、情報の非対称性におけるインセンティブ設計やオークション理論の研究で国際的に高く評価され、1996年にはジェームズ・マーリーズと共にノーベル経済学賞を受賞しましたが、受賞発表からわずか3日後にこの世を去るという劇的な幕切れとなりました。

主要な学術的貢献

ヴィックリー教授の業績は、経済学の理論と応用において重要な位置を占めています。

情報の非対称性とインセンティブ理論

ノーベル経済学賞の授与理由となったのは、情報の非対称性が存在する状況下での経済主体間のインセンティブに関する研究です。これは、取引や契約において、一方の当事者が他方よりも多くの情報を持っている場合に、どのようにして効率的な結果を達成できるかを探る分野です。ヴィックリー教授は、このような状況で個人が自身の利益を最大化しようとする行動を分析し、社会全体の厚生を高めるための制度設計に関する画期的な理論を構築しました。彼の研究は、公共政策、規制、契約理論など、幅広い分野に応用されています。

ヴィックリー・オークション

彼の名を冠した「ヴィックリー・オークション」は、オークション理論における最も有名な貢献の一つです。これは「セカンドプライス・シールド入札オークション」とも呼ばれ、参加者は他者の入札額を知らずに入札（シールド入札）を行いますが、最高額で入札した者が落札し、支払額は二番目に高い入札額となる方式です。この形式の重要な特徴は、参加者にとって正直な入札額（その品物に対する真の評価額）で入札することが最適な戦略となる点にあります。これは「戦略的真実申告」と呼ばれる性質であり、資源配分の効率性を高める上で理論的に重要な意味を持ちます。現代のインターネット広告入札システムなどで広く応用されています。

公共料金の最適化

ヴィックリー教授はまた、交通渋滞、道路通行料金、電力料金といった公共サービスの価格設定や、それに伴う資源配分の最適化に関する研究でも知られています。彼は、需要に応じて料金を変動させることで、ピーク時の混雑を緩和し、資源をより効率的に利用できることを理論的に示しました。特に、都市部の交通渋滞を解消するためのロードプライシング（混雑課金）の導入を強く提唱しました。

経歴と人物

ウィリアム・スペンサー・ヴィックリーは、1914年 6月21日にカナダのブリティッシュコロンビア州ビクトリアで誕生しました。米国のフィリップス・アンドーヴァー・アカデミーを経て、1935年にイェール大学を数学専攻で卒業。その後、経済学に関心を移し、1937年にコロンビア大学で経済学の修士号を取得しました。キャリアの初期には、ワシントンD.C.の国家資源計画委員会や財務省税務調査部門、公共ユティリティーの最適価格を研究するトゥエンティース・センチュリー・ファンドなどで実務経験を積みました。

1946年にコロンビア大学の講師としてアカデミアに戻り、1948年には博士号を取得しました。彼の博士論文「累進課税の課題（Agenda for Progressive Taxation）」は後に書籍として出版され、財政学における重要な著作となりました。コロンビア大学では着実に昇進し、1958年には教授に就任。1964年から1967年まで経済学部長を務め、1971年にはマクヴィッカー政治経済学教授の称号を得ました。1982年に退官した後も、名誉教授として研究活動を続けました。

国際的な活動としては、1950年に日本の税制改革を支援するためのシャウプ使節団の一員として来日しました。また、ニューヨーク市の地下鉄料金体系に関する研究など、自身の理論を実社会の課題に応用することにも熱心でした。

学術界での評価も高く、1992年にはアメリカ経済学会の会長に就任するとともに、米国科学アカデミーの会員にも選ばれています。1979年にはシカゴ大学から名誉博士号を授与されました。

ノーベル賞受賞と最期

ヴィックリー教授にとって、そして経済学界にとって、1996年は忘れられない年となりました。長年の功績が認められ、ジェームズ・マーリーズと共にノーベル経済学賞の受賞が決定したのです。しかし、その喜びも束の間、ノーベル財団からの発表からわずか3日後の1996年 10月11日、彼はニューヨーク州ハリソンの自宅に向かう途中に心臓発作で急逝しました。ノーベル賞は原則として故人には授与されませんが、受賞決定後に本人が死去した場合はその受賞が取り消されることはありません。ヴィックリー教授のケースは、この規定が適用された稀な事例となりました。

彼の全著作は、1994年にケンブリッジ大学出版局から出版された「Public Economics」にまとめられており、書籍8冊、論文139件、評論27件、未発表の論文等61件を含む膨大な業績が収録されています。また、「金融ファンダメンタリズムの15の致命的な誤謬（15 fatal fallacies of financial fundamentalism）」と題された需要サイド経済学に関する著書も知られています。

ウィリアム・スペンサー・ヴィックリーは、その独創的な理論と、社会課題解決に向けた応用への情熱をもって、現代経済学に多大な影響を与えた学者です。彼の研究、特に情報の非対称性下のインセンティブ設計とオークション理論は、今日もなお、理論研究および実務の両面で重要な礎となっています。