エウテュプロン

プラトンの『エウテュプロン』：敬虔とは何か？

紀元前399年、アテナイ。70歳のソクラテスは「涜神罪」の容疑で訴えられ、予審のためアゴラのプリュタネイオンを訪れていました。そこで出会ったのが、神学者エウテュプロンです。エウテュプロンは、父親を殺人の罪で告発しに来たと語ります。父親は、奴隷殺しの容疑がかかった日雇い人を溝に放置し、死なせてしまったのです。

この事件をきっかけに、ソクラテスとエウテュプロンは「敬虔」とは何かという議論を展開します。エウテュプロンは、敬虔を「神々に愛されること」や「不正を行う者を告発すること」と定義しようとしますが、ソクラテスの鋭い質問攻めにその定義は次々と破綻します。

ソクラテスの問答は、エウテュプロンの定義に潜む矛盾を巧みに暴いていきます。例えば、「神々に愛されること」という定義に対しては、神々自身も対立や争いをしていることを指摘し、一つの行為が神によっては愛され、別な神によっては憎まれる可能性を明らかにします。また、「不正を行う者を告発すること」という定義に対しても、告発行為そのものの正しさや、神々がすべて同じように判断するとは限らない点を問題視します。

議論は、敬虔の定義を巡る堂々巡りに陥り、最終的には結論が出ないまま終わります。エウテュプロンは用事があると言って立ち去り、ソクラテスは嘆きで対話を終えます。この行き詰まり、いわゆる「アポリア」こそが、『エウテュプロン』の重要な特徴です。

この対話篇は、ソクラテスが得意とする「ソクラテス式問答法」の好例として知られています。表面上は相手を褒め称えながら、巧妙な質問によって相手の無知を暴き、議論の矛盾を浮き彫りにする手法が、鮮やかに描かれています。

『エウテュプロン』は、単なる「敬虔」の定義論にとどまりません。この作品を通して、プラトンは、神についての従来の考え方に疑問を呈し、より深く、普遍的な倫理や正義の探求へと読者を誘います。

『エウテュプロン』の構成と内容の細部

この対話篇は、慣例的に20の章に分けられています。導入部ではソクラテスとエウテュプロンの出会いと、ソクラテスが「涜神罪」で訴えられている状況が説明されます。その後、エウテュプロンの父親を訴えた事件の詳細が語られ、議論は「敬虔」の定義へと移行します。

議論の中心となるのは、敬虔の本質を捉えようとするソクラテスの執拗な追及と、それに対応するエウテュプロンの苦戦です。エウテュプロンは様々な定義を試みますが、ソクラテスは論理的な矛盾を指摘し、議論は行き詰まり続けます。

この問答の中で、ソクラテスは「神々への奉仕」や「神々に愛されること」といった概念を分析し、それらが敬虔の本質を完全に捉えているわけではないことを示唆します。彼は、敬虔とは単なる神々への盲目的な従順ではなく、より深い倫理的原則に基づくものであることを示唆していると考えられます。

最後に、ソクラテスが議論のやり直しを提案しますが、エウテュプロンは用事があると立ち去り、議論は結論に至らず幕を閉じます。

『エウテュプロン』の意義

『エウテュプロン』は、プラトンの初期対話篇の中でも重要な作品です。単に「敬虔」の定義を探求するだけでなく、ソクラテス式問答法の典型的な例を示し、哲学的な探求の方法論についても示唆を与えてくれます。また、アポリアという形式を通じて、人間の知の限界と、哲学的な探求の継続の必要性を示唆していると言えるでしょう。さらに、この対話篇は、プラトンの後期の作品で展開されるより深い倫理や形而上学的な議論への導入部としても機能しています。

この対話を通して、プラトンは従来のギリシャ神話的な神観に疑問を投げかけ、より合理的な神理解、ひいては倫理観の構築を目指していると考えられます。これは、後のプラトン哲学における「善」「美」「真」といった概念の探求へと繋がる重要な一歩と言えます。

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