エツィオ・ピンツァ

イタリア出身のバス歌手、エツィオ・ピンツァ（1892年 5月18日 - 1957年5月9日）は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時代において、最も偉大なバス歌手の一人と広く認識されています。特に、アメリカ合衆国のニューヨークにあるメトロポリタン歌劇場では、22シーズンにわたる長い期間にわたり、50以上の異なる演目で延べ750回を超える出演を果たし、その名を刻みました。

生涯とキャリア

ピンツァはローマの極めて貧しい家庭に生を受け、少年期から青年期にかけてはラヴェンナで過ごしました。初期には様々な職を経験し、中でも自転車選手としては将来を嘱望されるほどだったとされる異色の経歴を持ちます。しかし、彼の声の素晴らしさが評価され、ボローニャのマルティーニ音楽院で声楽の専門教育を受けることとなりました。正式な音楽教育を始めたのは比較的遅い年齢だったと言われていますが、その才能はすぐに開花しました。

舞台デビューは1914年、ヴィンチェンツォ・ベッリーニのオペラ『ノルマ』におけるオロヴェーゾ役でした。その後、第一次世界大戦で兵役につき、活動に一時的な中断がありましたが、終戦後の1919年にはイタリアの権威あるミラノ・スカラ座の舞台に立ちます。そして1926年には、ガスパーレ・スポンティーニの『ヴェスタの巫女』でニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビューし、ここを主な活躍の場としていきます。

当たり役とレパートリー

彼のキャリアの中でも特に重要な役となったのが、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』のタイトル・ロールです。1929年に初めてこの役を演じて以来、その豊かな声質だけでなく、舞台上での魅力的な存在感と演技力も相まって、彼のライフワークとも言うべき当たり役となりました。特に1937年のザルツブルク音楽祭におけるブルーノ・ワルター指揮によるライブ録音は、今なおこの役の決定盤の一つとして高く評価されています。モーツァルト作品では他にも、『フィガロの結婚』のフィガロ、『魔笛』のザラストロなども得意としました。また、ベッリーニ、ガエターノ・ドニゼッティ、ジュゼッペ・ヴェルディといったイタリア・オペラの主要なバス役を数多く演じたほか、イタリア語での公演ではありましたが、モデスト・ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』のタイトル・ロールにも挑戦するなど、幅広いレパートリーを持っていました。

戦時下の経験と新たな挑戦

ファシスト政権を嫌っていたピンツァは、第二次世界大戦中もアメリカに留まりましたが、それでも1942年には「敵性国民」と見なされ、マンハッタン沖合のエリス島に7週間にわたり抑留されるという困難な経験もしています。

1948年にオペラの舞台から引退した後、ピンツァは全く新しいキャリアを歩み始めます。ブロードウェイのミュージカル界に進出したのです。1949年4月、リチャード・ロジャース作曲、オスカー・ハマースタイン2世作詞・脚本による有名なミュージカル『南太平洋』に出演し、ここでもスターとして成功を収めました。これを機に、彼はさらにいくつかのミュージカルや映画にも出演し、声楽家としてだけでなくエンターテイナーとしてもその多才ぶりを発揮しました。

芸術性と私生活

10代後半まで正式な音楽教育を受けなかったため、楽譜を読むことに苦労したという逸話も残っていますが、彼の芸術的な評価は非常に高く、その暖かく深みのある声は今日でも理想的な「バッソ・プロフォンド」（深いバス）の模範とされています。加えて、舞台姿の華やかさや卓越した演技力も相まって、同時代の聴衆から絶大な人気を博しました。

舞台上で魅せた魅力的な人物像は私生活にも及び、プレイボーイとしても知られていました。メトロポリタン歌劇場の有名なプリマドンナ、エリザベート・レートベルクとの関係は泥沼の法廷闘争に発展したほか、指揮者ブルーノ・ワルターの娘グレーテルと不倫関係にあった際には、嫉妬に駆られたグレーテルの夫が彼女を殺害するという悲劇（1939年）にも巻き込まれています。

エツィオ・ピンツァは1957年に心臓発作により急逝しました。その短い生涯において、オペラとミュージカルの両方の世界で輝かしい足跡を残し、その声と個性は今なお多くの人々に記憶されています。

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