エルペノル症候群

エルペノル症候群（仏: Syndrome d'Elpénor, 英: Elpenor syndrome）とは、アルコール摂取後に引き起こされる酩酊状態の中でも、特に異常な様相を呈する「病的酩酊」の一類型です。これは通称「アルコール寝ぼけ」（独: Alkohol schlaftrunkenheit）とも呼ばれています。

この特異な状態は、1900年には既にハンス・グルッデンによって、病的酩酊の中でも特に重要な分類として認識されていました。エルペノル症候群の主な症状は、飲酒によって深く酔い、一度眠りについた後に発現します。眠りから覚めた際に、まるで寝ぼけているかのような意識状態となり、自らの意思とは無関係に動き回るという行動が見られます。

この動き回っている最中の出来事について、当人は全く記憶していません。どのような行動をとっていたのか、誰と接触したのかなど、一連の行為に関する記憶が完全に欠落しているのです。この症状が重大な問題となるのは、本人が記憶にないまま行った行動が、たとえ法に触れるような行為や他人に危害を加えるような行為であっても、その行為を制御することができない点にあります。

この症候群の名称である「エルペノル」は、古代ギリシャの詩人ホメロスが著した叙事詩『オデュッセイア』に登場する人物の名前に由来しています。物語の中で、オデュッセウスの部下であったエルペノルは、酒に酔い、魔女キルケーの宮殿の屋根の上で眠ってしまいます。翌朝、一行が冥界へと出発しようとしているのに気づいて慌てて目を覚ましますが、酔いがさめきらず、自分が高い屋根の上にいることを認識できず、そのまま足を踏み外して転落し、首の骨を折って命を落とします。意識が戻った時には、既にこの世のものではない死者として冥界に存在していました。

この、酒に酔った後の睡眠を経て、寝ぼけたような状態で異常な行動をとり、悲劇的な結果を迎えるというエルペノルのエピソードが、まさにエルペノル症候群の症状と重なることから、この名称が名付けられたとされています。

病的酩酊の中でも、エルペノル症候群は記憶の欠落と無自覚な行動という特徴から、当事者だけでなく周囲にも予期せぬ危険をもたらす可能性がある異常な酔い方として理解されています。アルコールに関連する精神障害の一つとして、その存在と特性は重要視されています。

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