エロティック・キャピタル

概要

エロティック・キャピタル（Erotic capital）は、個人や集団が持つ性的魅力や外見的アピールを資産と見なす概念です。これは、単なる性的魅力だけでなく、社会的魅力やプレゼンテーション能力なども含み得る多面的な特性を指します。他の種類の資本（経済資本、社会資本など）と同様に、エロティック・キャピタルは運用可能であり、社会的な名声や経済的な富、有利な人間関係といった様々な利益獲得に役立てられると考えられています。

特に若年層、そして一般的に女性の方がエロティック・キャピタルを多く保有する傾向にあると指摘されており、これを無料で提供するのではなく、自身の利益のために活用することは経済的に合理的な行動と見なされることもあります。このように、エロティック・キャピタルは他の形態の資本に変換可能な性質を持つとされています。

この概念は「セクシャル・キャピタル（Sexual capital）」や「性資本（せいしほん）」、あるいは「エロス資本」とも呼ばれます。

起源

エロティック・キャピタルという用語は、2000年代初頭にイギリスの社会学者キャサリン・ハキムによって初めて用いられ、体系化されました。ハキムは、フランスの社会学者ピエール・ブルデューが提唱した経済資本、文化資本、社会資本といった資本概念を基礎とし、これらに加えてエロティック・キャピタルを新たな独立した資本として位置づけました。

ハキムは、エロティック・キャピタルが既存の社会階層とは独立して機能し、これを効果的に活用することで個人の社会階層間の移動、特に上昇を可能にすると論じました。また、このような社会の流動化を促す要因となるがゆえに、既成の権力構造はエロティック・キャピタルを無力化し、抑圧しようとする傾向があると主張しています。

英語圏の男性主義的なコミュニティでは、エロティック・キャピタルよりも「セクシャルマーケットバリュー（Sexual Market Value、SMV）」という短縮形が広く使われる傾向があることも指摘されています。

定義の詳細

エロティック・キャピタルの定義は、主に経済学と社会学の観点からアプローチされています。

経済学的視点

経済学の観点からは、ゲーリー・ベッカーの人的資本理論に基づき、性的魅力の主張に対して合理的な投資を行うという見方があります。これは健康資本の一形態、ひいては人的資本の一部と見なされることもあります。また、資産ポートフォリオ理論に基づき、エロティック・キャピタルを個人の資産ポートフォリオ全体の一部として捉え、これを他の形態の資産へ変換可能であると考えるアプローチも存在します。経済学的には、多くのエロティック・キャピタルを保有することは、人生の様々な側面で個人に有利な効用をもたらすとされ、実際に多くの研究で肉体的魅力が高いほど高収入と関連があることが示されています。

社会学的視点

社会学における定義は、ブルデューの資本論に強く影響を受けています。一説には、個人または集団が他者の性的反応を誘発するような特性の集合体であり、これには外見だけでなく、社会文化的な様式に影響を与える要素も含まれるとされます。人種や身長のような変更不可能な特性と、フィットネスや美容整形、化粧などによって後天的に獲得・向上が可能な特性の両方が含まれます。エロティック・キャピタルの形態は普遍的ではなく、文化的・社会的な文脈によって大きく変動します。

ハキムが提唱したもう一つの定義は、エロティック・キャピタルを経済資本、文化資本、社会資本と並ぶ第四の個人資産として扱うものです。この定義では、性的魅力に限定せず、肉体的・社会的魅力を総合的に捉え、より広い意味での個人的アピール能力を指します。この定義におけるエロティック・キャピタルは個人に帰属する資産であり、特定の性的分野との関連は必須ではありません。経済学者ダニエル・S・ハマーメッシュの「美貌格差」に関する研究も、外見の魅力が教育、ビジネス、政治、社会交流など、多様な場面で経済的な利益をもたらすことを示しており、この概念を支持する証拠の一つとされています。

重要性

エロティック・キャピタルは、単に個人的な関係や性的な領域にとどまらず、より広い社会生活において重要な影響力を持つとハキムは主張しました。メディア、政治、広告、ビジネス、芸術、そして日常的な人間関係など、様々な分野でその影響が見られます。ハキムは、エロティック・キャピタルを以下の6つの要素から構成されると示唆しています：

1. 美貌（Beauty）
2. 性的魅力（Sexual attractiveness）
3. 社会的魅力（Social attractiveness）
4. 活力、エネルギッシュさ（Liveliness, energetic）
5. プレゼンテーション（Presentation）
6. セクシャリティ（Sexuality）

ハキムは、エロティック・キャピタルが現代社会においてますます重要になりつつあり、特に女性が男性よりも多くこれを保有する傾向があることから、社会全体にとって有益であり、女性に有利な特典をもたらすと論じています。ただし、特定の性的な分野との明確な関連性を持たない普遍的な個人資産としての定義に対しては、一部の社会学者から異論も呈されています。

また、エロティック・キャピタルは個人の性的および心理的健康とも関連がある可能性が指摘されています。例えば、セクシャル・キャピタルが低いと感じる人が、より高いパートナーとの関係において交渉力を欠いたり、否定的な心理状態に陥ったりすることがあります。

社会理論としては、エロティック・キャピタルは、経済資本、文化資本、社会資本など、個人の社会における地位に影響を与える他の種類の資本とも相互に関連し、変換可能である点が重要です。魅力的な俳優が外見を活かして経済的・社会的な成功を収めたり、魅力的な従業員が顧客獲得や昇給に有利になったりする例は、エロティック・キャピタルが他の形態の資本に変換される一例と言えます。

文化および関連要素

エロティック・キャピタルは、個人の特性だけでなく、所属する文化や社会集団、そして性自認や性的指向とも深く関連しています。

人種

セクシャル・キャピタルは、人種や人種的ステレオタイプにおける性的魅力と密接に関連することが示されています。例えば、アジア系女性がメディアにおける性的描写を通じて欧米社会で魅力的と評価されることでセクシャル・キャピタルを得たり、特定の文化的文脈において白人男性が性的市場で優位に立つといった現象が研究されています。このように、人種とエロティック・キャピタルの関係は単純ではありません。

文化

理想とされる身体的特徴や美の基準は、文化によって大きく異なりますが、一部にはほぼ普遍的な基準も存在します。しかし、身長や体重など、多くの特徴は文化固有の理想に左右されます。文化的な理想から外れることは、その文化圏内でのセクシャル・キャピタルの喪失につながる可能性があります。特に文化圏を移動した場合、個人のセクシャル・キャピタルが大きく変動する可能性があります。

宗教

セクシャル・キャピタルは、世俗的な文脈だけでなく宗教的な場面でも存在し得ます。一部の宗教集団内では、伴侶選択においてセクシャル・キャピタルが依然として重要な役割を果たしています。例えば、キリスト教福音派の若者グループに関する研究では、処女性が恋愛対象としての望ましさ、すなわちセクシャル・キャピタルとして機能することが示されています。宗教への関与が若者の性的デビューの時期に影響を与えたり、長期的なパートナーシップ形成後に宗教への関与が再び高まったりするといった研究結果もあり、宗教が個人のセクシャリティや性的市場における価値観に影響を与えていることが示唆されています。

社会階層とジェンダー

セクシャル・キャピタルは社会階層とも密接に結びついています。経済的機会が限られる社会において、性的魅力や外見が重要な資源となり得ることが指摘されています。また、セクシャル・キャピタルの概念はジェンダー間の関係性とも関連しており、例えば貧しい若年男性が自身の外見や性的なパフォーマンスを磨くことでセクシャル・キャピタルを構築し、より上の社会階層の相手との競争に参画しようとする動きが研究されています。これは男性性の強化に繋がる一方で、既存の男らしさのヒエラルキー内での軋轢を生む可能性もあります。

セクシャリティ

セクシャリティや性的指向もエロティック・キャピタルのあり方に影響を与えます。例えば、ゲイ男性のコミュニティにおけるマッチングアプリの利用に関する研究では、特定の外見的特徴（例：身長、体格）や人種（例：白人）を持つユーザーがより多くの注目を集める傾向があることが示されています。これは、コミュニティ内で性的に望ましいとされる特定の属性がセクシャル・キャピタルとして機能している可能性を示唆しています。

レズビアンコミュニティ内では、ジェンダーノンコンフォーミングなスタイルがセクシャル・キャピタルを高めると見なされることがあります。これは、ジェンダー規範を打ち破る姿勢がコミュニティ内で評価されるためです。一方で、女性的なレズビアンはクィアコミュニティ内ではセクシャル・キャピタルを欠くと見なされることがあるかもしれませんが、異性愛の文脈では高いセクシャル・キャピタルを持つ可能性もあります。このように、セクシャル・キャピタルの価値は、それが評価されるコミュニティや文脈によって大きく異なります。

キャピタルポートフォリオと男女差

個人の魅力は、単一の要素だけでなく、経済資本、文化資本、社会資本など他の資産と組み合わさったキャピタルポートフォリオとして機能するという概念があります。特定の資産の組み合わせが、個人や集団を特定の文脈で他者よりも望ましくさせると考えられています。

異性愛の関係における研究では、平均的に女性は男性の「財政資源」（経済資産など）を性的魅力よりも重視する傾向があるのに対し、男性は女性パートナーの性的魅力や若さを経済資産よりも重視する傾向があることが示されています。このことから、異性愛の男性と女性は、異なったジェンダー的なバランスを持つ特徴的なキャピタルポートフォリオをパートナーに追求する傾向があると言えます。

批評

キャサリン・ハキムのエロティック・キャピタル理論は注目を集めると同時に、様々な批判を受けています。主な批判の一つは、議論が特に女性における影響に偏りがちであるという点です。批判的な研究者は、性的魅力やセクシャリティの価値は、文化、社会、経済の状況によって大きく異なり、一概に普遍的な理論として扱うことには限界があると主張しています。人種的、社会経済的、あるいは性的な少数派は、それぞれの社会において魅力的とされる基準からの追加的な圧力に直面する可能性があるとも指摘されています。

さらに、ハキムは個人のセクシャル・キャピタルはある程度変更可能であるとしていますが、これは平均的な人々にとっては特定の政治的・社会的な状況においてのみ可能であり、限界があると指摘されています。個人は社会の性やセクシャリティに関する意見や基準に拘束される場合があり、ネオリベラルな世俗社会のような特定の状況では、個人のセクシャリティ表現の自由度がより広がる可能性があると論じられています。このような社会では、個人の行動とその動機が、セクシャル・キャピタルを評価するための基準として用いられるという見方もあります。

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