キリストの磔刑 (ボス)

『キリストの磔刑』、または『寄進者のいるキリストの磔刑』は、初期ネーデルラント絵画の巨匠ヒエロニムス・ボスが1480年から1485年頃に制作した油彩画です。オーク板に描かれたこの作品は、近年真作と認定された『東方三博士の礼拝』を除けば、ボスが現存する作品の中で最も初期の部類に属します。この作品は、磔刑図の伝統的な表現に忠実でありながら、画家の個性と信仰が深く反映されています。

作品の構成

この絵画では、中央に十字架にかけられたキリストが描かれ、その左右には聖母マリアと福音書記者聖ヨハネが悲しみに沈んでいます。聖母マリアは両手を合わせ、深い悲しみを表しています。一方、聖ヨハネは鑑賞者に向かって視線を向け、キリストを指し示すことで、その存在の重要性を強調しています。また、キリストの反対側には、跪いて合掌する寄進者と、その守護聖人である聖ペテロが描かれています。寄進者の存在は、この作品が特定の人物の依頼によって描かれたことを示唆しています。

画面の左側には頭蓋骨が描かれています。これはゴルゴタの丘を表しており、キリストが磔にされた場所を示しています。また、周囲に散らばる骨片は、人類の始祖アダムの遺骨とされ、キリストがアダムの罪を贖うために十字架にかけられたというキリスト教の教義を象徴しています。キリストは「第二のアダム」と見なされており、原罪からの救済を意味しています。

キリストの腰布が風になびく様子は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの作品に代表される初期ネーデルラント絵画の伝統を受け継いでいますが、ボスはこの作品で悲痛な感情を極力抑え、静かな悲しみに満ちた雰囲気を作り上げています。

寄進者の身元は特定されていませんが、黒い帽子に黒い袖なしマント、そして黒と茶色のストライプのズボンを着用していることから、15世紀末のネーデルラントの廷臣や官吏、あるいは下級貴族であった可能性が考えられます。彼は腰に剣らしきものを差しており、その身分を示唆しています。寄進者は焦点の定まらない目を前方に向けていますが、これは磔刑の光景が彼の脳裏に浮かぶ幻想であることを示しています。この寄進者は、かつてマグダラのマリアに描き変えられていましたが、1966年の修復作業により、現在の姿が復元されました。

背景と象徴性

背景には、緑豊かな野原が広がり、遠くには町並みが描かれています。この町は、エルサレムを想定して描かれたと考えられますが、風車が描かれていることから、ボスの故郷であるスヘルトーヘンボスを連想させる要素も含まれています。中景には、空洞のある枯木が描かれていますが、これはボスが好んで用いたモティーフであり、彼の作品によく登場します。これらの風景要素は、宗教的な物語を背景にしながらも、ボスの身近な風景を投影している可能性があります。

この作品は、ネーデルラント絵画の伝統を尊重しつつも、ボス独自の解釈と象徴性を加えており、後の彼の作品の萌芽を見ることができます。物語性を排除し、祈念性を高めたこの作品は、鑑賞者に深い精神性と静謐な悲しみを感じさせる力を持っています。

参考文献

小池寿子『謎解き ヒエロニムス・ボス』、新潮社、2015年
岡部紘三『図説 ヒエロニムス・ボス 世紀末の奇想の画家』、河出書房新社、2014年
ヴァルター・ボージング『ヒエロニムス・ボス 天国と地獄の間で』、TASCHEN、2007年

外部リンク

ベルギー王立美術館公式サイト、ヒエロニムス・ボス『キリストの磔刑』 (オランダ語)

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