ゲーベン追跡戦

ゲーベン追跡戦：第一次世界大戦の序曲

第一次世界大戦の勃発直後、地中海で繰り広げられた「ゲーベン追跡戦」は、単なる艦隊の追跡劇にとどまらず、その後の戦争の行方、特にオスマン帝国の参戦に大きな影響を与えた事件でした。この事件は、ドイツ帝国海軍の巡洋戦艦ゲーベンと軽巡洋艦ブレスラウが、イギリス海軍の追跡をかわし、オスマン帝国のコンスタンティノープル（現在のイスタンブール）に入港したことから始まり、国際政治の複雑な駆け引きと、海戦における戦略の重要性を浮き彫りにしました。

事件の概要

1914年7月末、第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ帝国海軍の地中海戦隊に所属していたゲーベンとブレスラウは、イギリス海軍地中海艦隊の追跡を受けました。当時、オスマン帝国はロシアの南下政策に対抗するため、ドイツ帝国との関係を深めており、8月2日には同盟を締結していました。この状況下、ドイツ艦2隻はダーダネルス海峡を通過し、トルコ領海に入りました。オスマン帝国は、この2隻をドイツ帝国から購入する形で受け入れ、乗組員ごと自国海軍に編入しました。この出来事は、オスマン帝国とイギリスの関係を急速に悪化させ、同年10月末にはオスマン帝国が中央同盟国側として第一次世界大戦に参戦する決定的な要因となりました。

事件の背景

1. ロシアの南下政策とオスマン帝国の危機感

ロシア帝国は、不凍港を求めて南下政策を推進しており、バルカン半島への影響力を強めていました。これに対し、オスマン帝国は、衰退の一途をたどる中、ロシアに対抗するためにドイツ帝国に接近しました。オスマン帝国は、ドイツの軍事顧問団を受け入れ、陸軍の近代化を進めました。一方、海軍はイギリスの影響下にあり、イギリスの民間企業に最新鋭戦艦を発注していました。しかし、第一次世界大戦勃発とともに、これらの戦艦はイギリスに接収され、トルコ国内では反英感情が高まっていました。

2. ドイツ地中海戦隊の派遣

第一次バルカン戦争後、ドイツ帝国は1912年11月に地中海戦隊を新設し、最新鋭の巡洋戦艦ゲーベンと軽巡洋艦ブレスラウを配備しました。これは、地中海におけるドイツのプレゼンスを高め、フランス軍の兵員輸送を妨害する目的がありました。しかし、ドイツは地中海に自国の基地を持たなかったため、友好国の港湾施設を借りざるを得ませんでした。また、戦況が悪化すればドイツ本国に帰還する可能性も検討されていました。

3. イギリス地中海艦隊の動向

イギリスは、地中海におけるドイツ海軍の活動を警戒し、1914年には地中海艦隊を再編しました。巡洋戦艦3隻を配備し、ドイツ地中海戦隊を牽制しました。しかし、開戦直後の混乱の中、イギリス艦隊はドイツ艦隊の追跡に失敗し、結果としてドイツ艦隊のオスマン帝国への逃走を許してしまいました。

開戦直後の動き

1914年7月28日、オーストリア＝ハンガリー帝国とセルビアの間で戦争が勃発し、ヨーロッパは戦争に突入しました。ゲーベンはボイラーの故障により修理中であり、ブレスラウはアルバニア沖で活動していました。イギリス海軍はマルタに艦隊を集結させましたが、ゲーベンとブレスラウの動きを捕捉することに失敗しました。

8月1日、ゲーベンは修理を終え出港しましたが、イタリアは中立を理由に給炭を拒否しました。ゲーベンとブレスラウはメッシーナで合流し、ドイツ商船から石炭を補給しました。一方、イギリス海軍はフランス軍の輸送船団護衛に注力し、ドイツ艦隊の追跡を優先しませんでした。

最初の接触と追跡

8月2日、ドイツ地中海戦隊はメッシーナを出港し、アルジェリア沿岸のフランス港を砲撃しました。その後、ドイツ本国からコンスタンティノープルへ向かうよう命令を受けましたが、ゲーベンのボイラーの故障が問題となり、メッシーナでの再度の石炭補給を余儀なくされました。

8月4日、ドイツ艦隊はイギリス巡洋戦艦2隻と接触しました。しかし、この時イギリスはまだドイツと戦争状態になかったため、交戦は避けられました。イギリス艦隊は反転してドイツ艦隊を追跡しましたが、ゲーベンは速度を上げてイギリス艦隊を引き離しました。この時、ゲーベンのボイラー室では、過労で4人の船員が殉職しました。

追跡の失敗とオスマン帝国への入港

イギリス海軍は、メッシーナ海峡を封鎖しようとしましたが、イタリアの中立を尊重するよう命令されたため、不完全な封鎖となりました。ゲーベンとブレスラウはメッシーナで石炭を補給しましたが、イタリアは補給を拒否し、ドイツ艦は自力で石炭を積み込む必要がありました。ドイツ艦隊は8月6日にメッシーナを出港し、イギリス巡洋艦の追跡を受けました。イギリス艦隊の指揮官は、ドイツ艦隊が西へ向かうと思い込んでおり、追跡が不十分でした。ゲーベンとブレスラウは、イギリス艦隊の追跡を振り切り、8月10日にダーダネルス海峡に到着し、オスマン帝国の許可を得て海峡を通過しました。

8月16日、ゲーベンとブレスラウはコンスタンティノープルに入港し、オスマン帝国海軍に編入されました。ゲーベンはヤウズ・スルタン・セリム、ブレスラウはミディッリと改名されました。

その後の影響

ゲーベンとブレスラウのオスマン帝国海軍への編入は、イギリスとオスマン帝国の関係を決定的に悪化させました。オスマン帝国は、ドイツ帝国との同盟関係を深め、10月末には中央同盟国側として第一次世界大戦に参戦しました。この出来事は、中東戦域の形成、ひいては第一次世界大戦全体の戦況に大きな影響を与えました。

イギリス海軍の追跡失敗は、指揮官の責任問題を引き起こし、軍法会議にかけられた者もいました。しかし、イギリスにとっては、オスマン帝国が敵国として分割対象となる方が都合が良かったという見方もあります。

ゲーベンとブレスラウは、その後も黒海でロシア帝国海軍やイギリス海軍と戦い、第一次世界大戦終結まで活躍しました。ミディッリは1918年に触雷沈没しましたが、ヤウズはトルコ海軍所属として第二次世界大戦終結後も長きにわたり現役であり続けました。

まとめ

ゲーベン追跡戦は、第一次世界大戦の序盤において、国際政治の複雑さと海軍戦略の重要性を示した事件でした。ドイツ艦隊の逃走は、オスマン帝国の参戦を招き、中東戦域の展開に大きな影響を与えました。また、この事件は、イギリス海軍の指揮官たちの判断ミスや、情報伝達の遅れなど、戦争における組織運営の課題を浮き彫りにしました。

この追跡戦は、第一次世界大戦の全体像を理解する上で欠かせない出来事であり、その後の歴史の展開を読み解く上で重要な鍵となります。

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