コレラ病死者の石碑

コレラ病死者の石碑

富山県南砺市田向集落にひっそりと佇む「コレラ病死者の石碑」は、江戸時代後期の天保8年（1837年）にこの地を襲ったコレラ病の猛威により命を落とした多くの村人たちの冥福を祈り、その菩提を弔うために建立されました。この石碑は、当時の凄惨な出来事を今に伝える歴史的な証として、現在、南砺市の指定史跡とされています。

この石碑が立つ田向集落は、庄川の右岸に位置し、かつては加賀藩の流刑地としても使われた歴史を持つ地域です。天保8年、この村は「風病」、すなわちコレラ病の大流行に見舞われました。当時の状況を克明に記した『風病やめ書』という記録文書が現存しており、それによると、流行が発生した同年5月の時点で、村全体の29軒のうち14軒で48人が病に倒れ、中には一家全員が罹患した家が4軒もあったといいます。また、春から病にかかっていたものの5月には回復傾向にあった家が11軒あったことも記されていますが、その後も病は収まることなく、感染は拡大し続けたとみられます。

最終的に、この大流行による死者数は120余名に達したと伝えられています。当時の田向村の人口から考えると、村の半数を超える人々が命を落としたことになり、これはまさに未曽有の惨事でした。病に倒れた人々は顧みられることもなく、亡くなった人々の葬儀や埋葬もままなりませんでした。亡骸は村のはずれの崖下や庄川の河辺に放置されたままとなり、風雨に晒され、無数の白骨が累々と積み重なり、山を成したとまで伝えられるほど、悲惨を極めた状況だったのです。

こうした悲劇的な出来事からおよそ10年が経過した嘉永元年（1848年）、村には文政13年（1830年）から収監されていた篠田余太夫という流刑人がいました。ある時、余太夫は隣村の猪谷村にいる別の流刑人を訪ねる機会がありました。その帰り道、かつて火葬場があったとされる湯谷橋の辺りに差し掛かると、多くの霊に呼びかけられたという不思議な体験をします。余太夫は、これは天保のコレラで命を落としながらも、適切な供養を受けられずに迷っている魂であると悟り、彼らの魂を鎮め、菩提を弔うことの必要性を強く感じました。

そこで、篠田余太夫は自らの手で碑文を考え、一体の墓碑を建立することを決意しました。流刑という身でありながらも、村の過去の悲劇に心を痛め、犠牲者の魂を弔おうとした余太夫の行動は、苦難の中にも見出される人間的な営みとして、この石碑に刻まれています。

現在、このコレラ病死者の石碑は、田向集落の西端、湯谷川が庄川に合流する地点の近く、湯谷川小水力発電所の裏手にひっそりと佇んでいます。村が経験した甚大な被害と、それを忘れまいとする人々の思い、そして犠牲となった魂への鎮魂の願いを、静かに後世に伝えています。この石碑は、単なる史跡としてだけでなく、地域の歴史における悲しみと、それを乗り越えようとする人々の心のあり方を示す貴重な存在と言えるでしょう。

もう一度検索