シコルスキー人力ヘリコプター賞

シコルスキー人力ヘリコプター賞は、人力のみを動力源とする回転翼機、いわゆる人力ヘリコプターの技術開発を促進することを目的に、AHSインターナショナル（設立当時はアメリカ・ヘリコプター協会）によって1980年に創設された栄誉ある賞です。正式名称は「Igor I. Sikorsky Human Powered Helicopter Competition」といい、偉大な航空エンジニアであり、「ヘリコプターの父」と称されるイゴール・シコルスキー氏の名を冠しています。この賞は航空分野における最も権威ある賞の一つとして広く認識されており、その賞金額も世界的に見て上位に位置する規模でした。

この賞が提示する達成基準は、極めて挑戦的なものでした。具体的には、人力のみを動力としてヘリコプターを浮上させ、最低でも60秒間にわたって、地上3メートル（10フィート）以上の高度を安定して維持すること。さらに、飛行中に水平方向の移動範囲を約100平方メートル（1076平方フィート）の決められたエリア内に収める必要がありました。これは、単に浮上するだけでなく、ある程度の操縦性と滞空能力、そして精密な位置維持を同時に要求するもので、当時の技術水準では極めて困難な課題でした。

創設当初、賞金は1万ドルでしたが、間もなく2万5000ドルに増額されました。しかし、その難しさから長らく受賞者は現れませんでした。2000年代に入り、この賞の支援を引き継いだ世界的なヘリコプターメーカー、シコルスキー社は、2009年に賞金額を大幅に引き上げ、25万ドル（当時のレートで約2500万円）としました。これにより、世界中の技術者や研究チームの関心はさらに高まりましたが、それでもなお達成は困難を極めました。

過去には、この賞を目指した多くのチームが重要な記録を樹立しています。

• - 1989年には、カリフォルニア州立工科大学のチームが開発した「ダビンチIII」が、地上わずか20センチの高さで8.6秒間の滞空に成功しました。
• - 1994年には、日本の内藤晃氏と日本大学のチームによる「YURI-I」が、これまでの記録を大きく塗り替える20秒間の滞空を達成しました。
• - 2012年には、メリーランド大学のチームによる機体「ガメラ2」が、49秒間の滞空を記録し、日本大学の記録を更新しました。

これらの挑戦は、人力ヘリコプター技術の限界を押し上げる貴重な試みでした。

しかし、求められる60秒の壁は厚く、創設から30年以上の間、「受賞不可能」とさえ言われる状況が続きました。この難攻不落の挑戦に終止符を打ったのが、2013年に登場したカナダのトロント大学の学生たちが設立したベンチャー企業、AeroVelo社でした。彼らは、このシコルスキー賞の獲得を目標にチームを結成し、革新的な人力ヘリコプター「アトラス（Atlas）」を開発しました。

「アトラス」は、その巨大な機体構造が特徴的で、全幅は49.4メートルにも及びながら、重量はわずか55キログラムに抑えられていました。これは、超軽量素材と効率的な構造設計によって実現されたものです。動力源は、体重約72.6キログラム（160ポンド）以下のパイロット1名による人力のみで、約1馬力の出力を想定して設計されました。AeroVeloチームは、「アトラス」を用いた幾度もの試行錯誤の末、ついにシコルスキー賞の全条件をクリアする飛行に成功しました。彼らの偉業は、人力飛行機の分野における長年の夢を実現させただけでなく、不可能と思われた技術的限界を人間の力と ingenuity（創意工夫）で乗り越えられることを証明しました。

このシコルスキー人力ヘリコプター賞の達成は、航空技術史におけるマイルストーンの一つとして記録されています。それは、純粋な人力によって複雑な回転翼機を制御し、実用的な飛行性能を発揮させるという究極の挑戦であり、世界中の研究者やエンジニアに多大なインスピレーションを与えました。AeroVeloチームの成功は、まさに人類の技術的探求心と粘り強さの証と言えるでしょう。

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