ジャック・カロ

ジャック・カロ：バロック期を代表する版画家

ジャック・カロ（1592年-1635年）は、フランス・ロレーヌ地方出身のバロック期を代表する版画家です。1400点にも及ぶ精緻なエッチング作品によって、西洋版画史に重要な足跡を残しました。貴族階級に生まれながらも、王宮の華やかさだけでなく、兵士、道化、酔っ払い、ジプシー、乞食など、社会の多様な階層の人々を作品に描き込みました。宗教画や戦争画にも才能を発揮し、それらの作品には広大な風景が背景として描かれることが多いのが特徴です。

生涯：ナンシーからフィレンツェ、そしてヨーロッパへ

現在のフランス領であるロレーヌ公国のナンシーで生まれたカロは、ロレーヌ公に仕える高官の家に生まれました。15歳で金細工師の弟子となりますが、まもなくローマへ渡り、フランス人版画家フィリップ・トマッサンから版画技法を学びます。その後、フィレンツェへ移り、アントニオ・テンペスタに師事し、エッチング技法を習得しました。1612年から1621年までフィレンツェに滞在し、版画家として独立、メディチ家からの注文も受けるなど成功を収めます。

2000点以上とも言われるカロのスケッチが現存していますが、それらはすべて版画の下絵であり、絵画の修行は積んでいなかったと考えられています。1621年にメディチ家の当主コジモ2世の死後、カロは故郷ナンシーに戻り、生涯の多くをそこで過ごしました。しかし、晩年にはパリやオランダにも滞在し、ロレーヌ、フランス、スペインの宮廷、そしてパリの出版社など、幅広い顧客層に作品を提供しました。ナンシーの片田舎にこもって制作活動を行っていたにもかかわらず、カロの作品はヨーロッパ中に広まり、有名な画家レンブラントも熱心なコレクターの一人だったと伝えられています。

エッチング技法の革新：新たな表現の可能性

カロの卓越した版画技術は、彼自身の技術革新によって支えられていました。彼は「エショップ」と呼ばれる、先端が傾斜した楕円形の断面を持つエッチング針を多用しました。この特殊な針によって、それまでエングレービングでしか表現できなかった立体感のある線をエッチングでも再現できるようになりました。

さらに、カロはエッチングの防蝕剤として、従来のロウの代わりにリュート製作に使われる硬いニスを使用しました。この変更により、より深く線が腐蝕され、版の寿命が延びただけでなく、酸の過剰な侵食による失敗である「ファウル・バイティング」が大幅に減少しました。ファウル・バイティングは、版画制作における大きな問題でしたが、カロの革新によって、緻密な表現がエングレービングからエッチングへと広がったのです。

また、カロは「ストッピング・アウト」という技法にも卓越していました。これは、版全体を腐蝕する際に、特定の部分を防蝕剤で覆い、陰影のトーンを調整する技法です。カロはストッピング・アウトを複数回行うことで、きめ細やかな陰影と距離感を表現することに成功し、前例のない繊細な作品を生み出しました。これらの革新的な技法は、カロの弟子であるアブラム・ボスによって書かれたエッチング技法書を通じてヨーロッパ中に広まり、後の版画家たちに大きな影響を与えました。

『戦争の惨禍』：戦争の悲劇を告発する傑作

カロの作品の中でも最も有名なのは、『戦争の惨禍』シリーズです。1633年に制作された18枚の作品からなる『大きな惨禍』と、それ以前の作品からなる『小さな惨禍』の2つのシリーズがあります（名称は絵のサイズによるもので、大きなものでも8×13cm程度です）。

これらの作品では、戦争のさなか、兵士たちが町や村、修道院を略奪・放火し、上官によって処刑されたり、農民によって私刑にかけられたり、あるいは身体の不自由な乞食に転落していく様子が描かれています。1633年は三十年戦争によってカロの故郷ロレーヌ地方がフランス軍の侵略を受けていた年であり、『戦争の惨禍』は、戦争の非人間性を鋭く告発する作品として、ゴヤの『戦争の惨禍』シリーズと並ぶ傑作として評価されています。

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