チグリスとユーフラテス

『チグリスとユーフラテス』は、新井素子による日本のSF小説で、遠い未来を舞台に、惑星間移民によって誕生した惑星「ナイン」での人類の物語を描いています。

あらすじ

物語は、地球からの移民によって開拓された惑星ナインを舞台に展開します。移民船のクルーたちが持ち込んだ凍結受精卵と人工子宮によって人口を増やし、120万人の社会を築き上げました。しかし、原因不明の出生率の低下により人口は減少し、最後の子供であるルナが誕生します。

孤独なルナは、コールドスリープしている過去の女性たちを目覚めさせ、彼女たちとの対話を通じて、自分がなぜ生まれたのか、そして人類がなぜ滅びゆくのかを探求していきます。物語は、ルナ、マリア・D、ダイアナ・B・ナイン、関口朋美（トモミ・S・ナイン）、レイディ・アカリという5人の女性たちの視点から、年代記を逆順にたどる形で語られます。

マリア・D
ルナが最初に起こすのは、実母イブ・Eの妹分であるマリア・Dです。マリア・Dの時代は、人口減少が深刻で、子供を産めるというだけで特権階級でした。しかし、彼女は子供に恵まれず、イブ・Eの妊娠に嫉妬していました。病気で子宮摘出を勧められますが拒否し、コールドスリープを選びます。ルナと過ごすうちに、彼女は伴侶の大切さに気づき、自身の境遇を記録します。

ダイアナ・B・ナイン
マリア・Dの時代から100年ほど前の女性で、宇宙管理局の職員でした。彼女の時代は、人口爆発と食糧危機が起きており、ダイアナ・Bは人口減少政策を推進していました。免疫不全でコールドスリープに入ります。ルナと出会い、かつて自分が推し進めた政策が、結果的にルナを苦しめているという事実に直面します。また、ルナと宙港で昆虫を放ち、それぞれの昆虫に名前を付けるシーンは印象的です。

関口朋美
ダイアナ・Bよりさらに100年前の女性で、地球からの移民の直系の子孫であり、超特権階級出身でした。左半身麻痺を抱えながらも画家として生きています。彼女はルナから芸術の意味を問われ、当初は無視していましたが、やがてルナを殺害しようとします。しかし、事故でルナを助けようとして階段から落ちてしまいます。死の間際、彼女はルナに対し、自身の境遇を嘆くのではなく、好きなことがなかったことを怒るべきだと諭します。

レイディ・アカリ
移民船の船長キャプテン・リュウイチの妻であり、ルナの出生の秘密を知る人物です。彼女はルナに「なぜイブ・Eは自分を産んだのか？」という問いを投げかけられ、すぐに答えることはしませんでした。彼女はルナに、最後の子供ではなく、惑星ナインの「最初の母」になることを勧め、猫を飼い、畑を耕すなど、共に過ごす中でルナの心の変化を促していきます。

物語のテーマと評価

この作品は、人類の存続、生命の尊厳、そして生と死の意味といった普遍的なテーマを深く掘り下げています。SF的な設定を使いながら、人間の孤独や希望、愛と憎しみといった感情を繊細に描き出しています。物語の結末は、読者に深い感動と余韻を与えます。

SF研究家の三村美衣は「SFでしか描けない孤独と希望が深く心に残る」と評しており、永田たまは百合の観点から「子孫をつなぐ」という役割を果たせなかった老婆2人（ルナとアカリ）の物語として、「個人的に百合の最高境地」と評しています。

制作背景

作者である新井素子が、無人の宇宙港にホタルが舞う夢を見たことがきっかけで生まれた作品です。夢の中で聞いた「ホタルの名はチグリスとユーフラテス」というナレーションが、作品のタイトルにもなっています。当初は登場人物がなかなか動き出さなかったものの、『小説すばる』からの連作短編依頼を機に構想が具体化し、それぞれの人物が自立的に動き始めたと言います。また、新井自身は影響を受けた作品を特定できないとしながらも、平井和正、半村良、山田正紀といった作家の影響を指摘されています。

既刊一覧

ハードカバー

『チグリスとユーフラテス』 集英社、1999年2月

集英社文庫

『チグリスとユーフラテス 上』 集英社、2002年5月
『チグリスとユーフラテス 下』 集英社、2002年5月

竹書房文庫

『影絵の街にて』 竹書房、2021年12月

『チグリスとユーフラテス』は、SFファンだけでなく、文学作品としても多くの人に読まれるべき作品です。その独特な世界観と深いテーマ、そして登場人物たちの感情の機微は、読む人の心を捉えて離しません。

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