ハロルド・ブルーム

ハロルド・ブルーム（Harold Bloom、1930年7月11日 - 2019年10月14日）は、20世紀後半から21世紀初頭にかけてアメリカ合衆国で活躍した、最も影響力のある文学研究者、批評家の一人です。長年にわたりイェール大学で教鞭を執り、名誉教授の地位にありました。

経歴と背景

ブルームは1930年、ニューヨーク市ブロンクスで生まれ育ちました。幼い頃からイディッシュ語を母語とする環境で育ち、その後の彼の思想や批評にもユダヤ文化の影響が色濃く見られます。学問のキャリアは順調に進み、1952年にコーネル大学を卒業。その後、1955年にはイェール大学で博士号を取得し、以来、その研究生活のほとんどをイェール大学の教員として過ごしました。

独自の批評理論「影響の不安」

ブルームの批評スタイルは極めて独創的でした。彼は、先行研究者であるノースロップ・フライの研究を基盤としつつ、ユダヤ神秘主義であるカバラーやグノーシス主義といった哲学・宗教思想を取り入れ、独特の文学解釈を展開しました。彼の批評理論の中で最も有名で、広く議論を呼んだのが、1973年に発表された主著『影響の不安』で提示された概念です。この理論は、新しい世代の詩人が、偉大な先行世代の詩人の影響を受ける際に生じる、心理的な葛藤や抵抗、そして創造的な「誤読」を通じて、自らの独自の表現を獲得していくプロセスを分析したものです。この理論は難解であると評されながらも、文学における伝統と革新、そして作家の創造性の源泉を探る上で、後続世代の批評家や作家に多大な示唆を与えました。

「ウェスタン・キャノン」を巡る論争

1994年に刊行された『ウェスタン・キャノン』は、ブルームの著作の中でも特に大きな反響を呼び、ベストセラーとなりました。この中で彼は、西洋文学の歴史において真に価値あるとされる古典作品群、すなわち「正典（キャノン）」を選定し、その重要性を力強く主張しました。特にウィリアム・シェイクスピアを西洋文学の中心的存在と位置づけました。この主張は、当時、大学の文学研究において影響力を増していた、フェミニズム批評、ポストモダン批評、ポストコロニアリズム、カルチュラル・スタディーズといった、文学の脱構築や古典の相対化を図る新しい批評潮流に対する、明確な挑戦状と受け止められました。そのため、ブルーム自身はしばしば「保守的な批評家」と見なされることになりましたが、彼が選んだ「キャノン」の中には、単に伝統的な基準だけでなく、多様な視点から再評価されるべき作品や、時に新しい批評観点からも重要視される作品が含まれていたことも事実です。この著作は、「文学の価値とは何か」「正典はいかに形成されるべきか」といった根源的な問いを再燃させ、学術界内外で激しい議論を巻き起こしました。

その他の活動と日本での受容

ブルームはまた、世界文学の古典に関する広範なアンソロジーを数多く編纂し、それぞれの巻に深い洞察に満ちた序文を執筆しました。これにより、多くの読者が古今の名作に触れる機会を得ました。

日本においては、『影響の不安』という言葉自体が特に有名になり、1980年代から1990年代にかけての文芸評論において頻繁に引用されました。しかし、その理論の持つ本来の複雑さや難解さから、表面的な理解に留まることも少なくありませんでした。2004年に詳細な注釈が付された邦訳が出版されたことで、理論の深層がより正確に理解されるようになりました。彼の他の主要著作も複数邦訳されており、日本でもその思想に触れることができます。

ブルームは2019年に89歳でその生涯を閉じましたが、彼の提唱した理論や古典文学への情熱は、今なお多くの文学研究者や読者に影響を与え続けています。彼の業績は、現代文学批評の歴史において、避けては通れない重要な位置を占めています。

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