バッハの名による幻想曲とフーガ

フランツ・リストが作曲した『バッハの名による幻想曲とフーガ』（Fantasie und Fuge über das Thema B-A-C-H）は、オルガン曲（サール番号S.260）とピアノ曲（サール番号S.529）として存在します。また、田村文生による吹奏楽編曲版も知られています。

作品の成り立ち

この作品の構想は、1855年から1856年にかけて始まりました。この時期に、オルガン版の最初の形（初稿、S.260i）と、ほぼ同時期にピアノ版の最初の形（初稿、S.529i）が書き上げられています。これらの初期の作品は、『前奏曲とフーガ』という名称で呼ばれていました。

その後、1869年から1870年にかけて、リストはこれらの作品に改訂を施します。この改訂によって、現在広く演奏されているピアノ版の第2稿（S.529ii）とオルガン版の第2稿（S.260ii）が、これもまたほぼ同時に完成しました。特別な断りがない限り、現代の演奏会で耳にするのは、オルガン版、ピアノ版ともにこの第2稿が一般的です。

作曲の背景と初演

本作の作曲を促した直接的なきっかけは、1855年に予定されていたドイツ、メルゼブルク大聖堂の新しいオルガンの落成式でした。リストは、その記念演奏のために作品の依頼を受けましたが、残念ながら作曲は式典までに間に合いませんでした。そのため、落成式では1852年に出版されていた別のオルガン作品である《コラール「アド・ノス、アド・サルタレム・ウンダム」による幻想曲とフーガ》（S.259）が代わりに演奏されました。

『バッハの名による幻想曲とフーガ』は、その翌年、1856年5月13日に、メルゼブルク大聖堂のオルガンを使用して初演されました。初演を務めたのは、リストの弟子であり、献呈もされたオルガニスト、アレクサンダー・ヴィンターベルガーでした。

楽曲の特徴

この作品は、BACH主題（ドイツ音名でシ♭、ラ、ハ、ロにあたるB♭-A-C-B♮の音列）を主要な要素として扱い、フーガも含まれていることから、ヨハン・ゼバスティアン・バッハへの深い敬意とオマージュであることは明らかです。しかし同時に、新ドイツ楽派の中心的人物であったリストらしい、大胆で革新的な響きも随所に聴くことができます。リストは以前からバッハの芸術に強い関心を示しており、1840年代にはバッハのオルガン作品の編曲を手がけたり、後の1862年にはバッハの主題を用いたパッサカリアである《バッハの主題による変奏曲》を作曲したりしています。

楽曲は、低音域で提示されるBACH主題の繰り返して幕を開けます。この主題は曲全体を通じて様々な形で変容され、自由な展開を見せます。楽曲の中ほどには、『アンダンテ、ミステリオーソ』と記された指示で始まるフーガが配置されています。特筆すべきは、このフーガ主題において、オクターヴ内の全ての半音（十二音）が使用されている点です。

調性については、主に変ロ長調とト短調を中心に進行しますが、BACH主題自体が半音階的な性質を持つため、明確な調性が感じられない部分も少なくありません。

作品の構成に関しては、初稿と第2稿の間、あるいはオルガン版とピアノ版の間で、大きな違いは見られません。特にフーガ部分の展開については、全てのバージョンで共通しています。

オルガン版について

オルガン版は、当時のドイツで最大規模を誇ったメルゼブルク大聖堂のオルガンの性能を最大限に引き出す意図があり、極めて幅広い表現力と高度な演奏技巧が要求される作品です。特に、ペダル鍵盤（足鍵盤）の扱いにも特徴があります。リストはピアニストとして名高いヴィルトゥオーゾでしたが、オルガンの足鍵盤演奏は苦手としていたとされ、彼の他のオルガン作品ではその用法が比較的控えめな傾向にあります。しかし、ヴィンターベルガーの優れた演奏技術を念頭に置いて書かれたためか、本作には足鍵盤による素早いパッセージが現れる箇所が存在します。

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