ピュロディクティウム属

ピュロディクティウム属（Pyrodictium）

ピュロディクティウム属（学名：Pyrodictium）は、主に浅い海の熱水噴出孔や深海の熱水域など、極めて高温な環境に生息する古細菌の一属です。この属は、生物が100℃を超える沸点以上の温度で増殖できることを初めて科学的に証明したことで、微生物学の歴史において非常に重要な位置を占めています。

その名前は、生息環境である高温（ギリシャ語で「炎」を意味する Pyro）と、細胞が形成する網目状の構造（ラテン語で「網」を意味する dictium）という、この生物の二つの特徴に由来しています。

発見と歴史的意義

ピュロディクティウム属は、1982年にドイツの微生物学者カール・シュテッター（Karl Stetter）らによって、イタリアのヴルカーノ島にあるレヴァンテ港の浅い海に位置する硫気孔から初めて単離されました。この発見以前、最も高温で生育できるとされていた微生物は、陸上の温泉に生息するサルフォロブス属（Sulfolobus）などの古細菌で、培養可能な上限温度は90℃程度と考えられていました。

しかし、ピュロディクティウム属の基準種である P. occultum の発見は、この常識を大きく覆すものでした。なんと、この微生物は105℃という驚異的な高温を至適生育温度とし、110℃でも増殖可能であることが示されたのです。これは、それまでの生物の生育温度記録を大幅に更新する画期的な出来事でした。

この記録は、1997年に同じピュロディクティウム科に属する別の古細菌、Pyrolobus fumarii に更新されるまで、10年以上にわたり最高記録として保持されました。ピュロディクティウム属の発見は、深海の熱水噴出孔など、地球上の極限環境に生息する超好熱性微生物の研究を加速させる大きなきっかけとなりました。その後の研究によって、ピュロコッカス属（Pyrococcus）やメタンピルス属（Methanopyrus）など、さらに多くの超好熱性古細菌が発見されることになります。

生物学的特徴

2008年までに、ピュロディクティウム属には主に3つの種が認められています。最初に発見された P. occultum、レヴァンテ港から単離された P. brockii、そしてアイルランド沖やカリフォルニア湾から報告されている P. abyssi です。

これらの種はいずれも偏性嫌気性生物であり、酸素が存在しない環境でのみ生育できます。彼らは、水素ガス（H₂）、硫黄（S）、二酸化炭素（CO₂）を利用してエネルギーを獲得し、細胞の構成要素を合成する独立栄養生物として増殖します（P. abyssi は例外的に有機物も利用できる従属栄養的な性質も持ち合わせます）。

生育に適した環境条件は極めて高温で、一般的に80℃から110℃の範囲で増殖が可能であり、特に97℃から105℃付近が至適温度帯となります。また、比較的酸性の環境を好み、生育pHは5から7程度で、至適pHは5.5付近です。塩分濃度については、海水程度の0.7%から4%程度の範囲で生育できます。

細胞構造にも特徴があります。細胞壁は古細菌に一般的なS-レイヤーと呼ばれる構造を持ち、グラム染色では陰性を示します。個々の細胞は、直径0.3〜2.0マイクロメートル、厚さ25〜50ナノメートル程度の平たいディスク状をしています。これらのディスク状細胞が、非常に細い管状の構造物によって網目状に複雑に繋がっているというユニークな形態をとることが、本属の大きな特徴の一つです。

研究室での培養は、硫黄を添加した海水（または人工海水）に、エネルギー源および炭素源として水素と二酸化炭素の混合ガスを吹き込むという、極めて高温・無酸素の特殊な条件下で行われます。

ピュロディクティウム属は、生命がどのくらいの高温まで生存・増殖できるのかという問いに対する重要な手掛かりを与え、極限環境微生物学や地球外生命探査といった分野にも大きな影響を与えた、まさに「炎」を好む驚異的な生命体です。

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