フェーリクス・ザルテン

フェーリックス・ザルテン (1869-1945) は、オーストリアの文壇を彩った重要な作家の一人です。ハンガリー・ブダペスト生まれのユダヤ系オーストリア人で、本名はジークムント・ザルツマンでした。青年期にウィーンに移住し、作家としての道を歩み始めるため、ペンネームをフェーリックス・ザルテンへと変更しました。

ウィーンに移り住んだザルテンは、活気に満ちた文化都市の文壇や演劇界に深く関わります。カフェグリエンシュタイドルといったサロンに集う文人たちと交流し、ホフマンスタールやアルトゥル・シュニッツラーといった著名な作家たちと親交を深めました。政府系新聞の演劇批評家として活躍するなど、順風満帆なキャリアを歩んだかに見えます。オーストリア・ペンクラブ会長を務め、第一次世界大戦時には政府を支持する立場を表明するなど、体制側に立つ作家として知られていました。

しかし、ザルテンは表の顔だけでなく、隠された顔も持っていました。1906年には、ウィーンの風俗を描いた小説『ヨゼフィーネ・ムッツェンバッハーの思い出』を無署名で発表しています。この作品は、当時としてはタブーとされた性的な描写を含んでおり、ザルテンの多面的な性格の一端を垣間見ることができます。

動物を愛し、私的な狩猟区を持つほどの狩猟家でもあったザルテンは、1924年に、彼の名声を不動のものとした作品『バンビ　森の生活』を発表しました。この作品は、森を舞台に、バンビの成長と冒険を描いた物語ですが、同時に、自然と人間との関わり、生命の尊さ、狩猟の残酷さを問いかける、奥深い内容を含んでいます。今日では、反狩猟文学の傑作として高く評価されており、世代を超えて読み継がれる名作となっています。

1938年、ナチス政権下のオーストリアでは、ユダヤ人迫害が激化しました。ザルテンは迫害を逃れるためアメリカに亡命、そして1945年、ナチスドイツの敗北後、スイスのチューリッヒで亡くなりました。

ザルテンの文学的業績は、『バンビ』だけにとどまりません。『フローリアン、皇帝の馬』や『十五羽の兎』など、多くの作品を発表し、オーストリア文学に大きな足跡を残しました。また、『フィレンツェの犬』は、ディズニー映画の原作としても知られています。彼の作品は、動物への深い愛情、ウィーンの文化への造詣、そして社会への鋭い洞察力を示しており、現在でも多くの読者から愛されています。ザルテンの生涯は、華やかな文壇生活、裏の顔、そしてナチス政権下の苦難など、複雑で興味深いものです。彼の作品を読むことで、20世紀初頭のオーストリアの社会情勢や文化、そして人間の心の奥深さを知ることができるでしょう。

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