ヘルメス文書

ヘルメス文書とは

ヘルメス文書（ヘルメティカ文書）は、古代エジプトを起源とする神秘主義的な文献群です。伝説的な賢者ヘルメス・トリスメギストスの著作とされ、占星術、錬金術、魔術、哲学など、多岐にわたる内容を含んでいます。これらの文書は、紀元前3世紀から紀元後3世紀頃にかけて、様々な思想の影響を受けながら形成されたと考えられています。

成立と内容

ヘルメス文書の内容は複雑で、占星術、太陽崇拝、ピタゴラス学派の影響が見られるほか、新プラトン主義的な「一者」からの万物の流出、グノーシス主義的な神の認識による救済といった思想も含まれています。これらの要素が混ざり合い、独特の世界観を形成しています。

文書の中心となるのは、11世紀頃に東ローマ帝国で編纂された「ヘルメス選集」です。これは17冊の文書から構成され、ルネサンス期に西ヨーロッパに紹介されるまで、ほとんど知られていませんでした。また、「ヘルメス選集」以外にも、『アスクレピオス』という著作がヘルメスのものとされ、こちらは中世ヨーロッパでも知られていました。

20世紀には、ナグ・ハマディ写本の中から、ヘルメス文書の一部も発見されています。これらの文書は、ヘルメス文書の多様性と複雑さを物語っています。

ヘルメス文書の分類

研究者によっては、ヘルメス文書を以下のように分類することがあります。

1. 哲学・宗教的な作品
「ヘルメス選集」：神、宇宙、人間に関する哲学的考察が中心
『アスクレピオス』：医学、魂、死後の世界に関する内容を含む
2. 占星術の作品：天体の運行と人間の運命を結びつける
3. 錬金術の作品：物質の変容を通じた精神的な探求
4. 魔術の作品：儀式や呪文を通して超自然的な力を得るための教え

グノーシス主義との違い

ヘルメス主義とグノーシス主義は、共にプラトン哲学や聖書などの共通のイメージを用いますが、世界観において大きな違いがあります。ヘルメス主義が世界を肯定的に捉える（Pro-cosmic）のに対し、グノーシス主義は世界を否定的に捉える（Anti-cosmic）傾向があります。

グノーシス主義は、世界の創造主を否定することからキリスト教正統派とは相容れません。一方、ヘルメス主義は必ずしもキリスト教と矛盾せず、両立しうるものとして理解されることもありました。実際、中世のモザイク画には、モーセと同時代人としてヘルメスが描かれているものも存在します。

イスラム圏への影響

ヘルメス選集の第一文書「ポイマンドレース」は、特にグノーシス的な文献として知られ、アラビア語に翻訳されてイスラム神秘主義（スーフィズム）でも引用されました。イスラム教徒にとって、ヘルメスは預言者エノクと同一視され、クルアーンでは預言者イドリースとして言及されています。

西欧への影響

ヘルメス文書は、ルネサンス期にコジモ・デ・メディチによって東ローマ帝国から写本が持ち込まれ、マルシリオ・フィチーノによってラテン語に翻訳されました。この翻訳をきっかけに、ヘルメス主義の思想が西ヨーロッパで広く知られるようになります。

ヘルメス主義は、キリスト教以前の古代の知恵として尊重される一方で、魔術的な要素を持つものとしても捉えられました。コペルニクス、セルベトゥス、ケプラー、ギルバート、ライプニッツ、ニュートンといった、著名な思想家や科学者にも影響を与えたと言われています。

現代におけるヘルメス文書

ヘルメス文書は、その複雑さと多様性から、現在でも多くの研究者の関心を集めています。その思想は、西洋の神秘主義や精神文化に深く根ざしており、現代の思想や文化にも影響を与え続けています。

参考文献

荒井献・柴田有訳 『ヘルメス文書』（朝日出版社、1980年）
アンドレ・シャステル 『ルネサンス精神の深層：フィチーノと芸術』（桂芳樹訳、ちくま学芸文庫、2002年）
大貫隆ほか編『グノーシス 陰の精神史』（岩波書店、2001年）
A・グラフトン『テクストの擁護者たち：近代ヨーロッパにおける人文学の誕生』（勁草書房、2015年）

外部リンク

ヘルメス主義と科学 - ウェイバックマシン
ヘルメス文書について
* 「ギリシア語ヘルメス文書」集成

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