ベツレヘムの人口調査

ピーテル・ブリューゲルによる油彩画『ベツレヘムの人口調査』（1566年制作）は、ベルギー王立美術館に所蔵されているフランドル絵画の代表作の一つです。別名『ベツレヘムの戸籍調査』とも呼ばれています。

この絵画は、一見すると、冬のフランドル地方の農村風景を描写した作品です。しかし、よく見ると、新約聖書『ルカによる福音書』に記される、イエスの誕生前、マリアとヨセフが人口調査のためベツレヘムへ向かう場面が描かれていることが分かります。ブリューゲルは、聖書の物語を、自身が暮らしたフランドルの農村の情景と巧みに重ね合わせることで、宗教画に現実味と深みを与えています。

画面の中央やや右寄りには、ロバに乗り、青みがかったマントをまとった聖母マリアと、のこぎりを持ち、ロバの綱を引くヨセフの姿が描かれています。二人は、人口調査のため、集まった人々の群衆の中に加わろうとしています。画面の背景には、日没間近の薄暗い空が広がり、冬の冷たい空気が漂うようです。

人口調査の徴収所となっているのは、画面に描かれている居酒屋です。その軒先には、ハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が掲げられており、スペイン・ハプスブルク家による支配下にあった当時のフランドル地方の政治状況を暗示しています。居酒屋の前では、当時の農村で冬に行われていた豚の解体作業が行われている様子も描かれています。これらの描写は、聖書の物語を単なる宗教画としてではなく、当時の社会情勢と結びつけた、よりリアルな物語として鑑賞する手がかりとなります。

ブリューゲルは、画面全体に細密な描写を施し、当時のフランドルの農村生活を克明に再現しています。画面には、様々な人々が描かれており、それぞれの表情や仕草から、彼らの生活や感情が読み取れます。背景には、家々や動物、そして凍てついた地面などが緻密に描かれており、見る者に当時のフランドルの農村の息遣いを感じさせます。

西南学院大学の井口正俊氏は、この作品について、「ブリューゲルの絵画世界は、世界が全体として存在するから、『ベツレヘムへの人口調査』に向かう『マリアとヨゼフの物語』が特殊な意味を持っているのだ、というように反転して描かれているのである」「主題が日常性の中で相対化された出来事として描かれることによって、主題が遠隔化されながら、生き続けているのだ」と述べています。この指摘は、この作品が単なる宗教画にとどまらず、宗教と現実の複雑な関係性、そして歴史的背景を深く考える契機となることを示しています。

『ベツレヘムの人口調査』は、宗教画としての側面を持ちながらも、当時のフランドルの社会風俗や政治状況をリアルに描き出すことで、見る者に多様な解釈を許す奥深い作品です。聖書の物語と、現実の社会生活が融合したこの絵画は、今日においても多くの鑑賞者を魅了し続けています。

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