モレネ

中立モレネ：亜鉛鉱山と国際政治の狭間で生まれた奇妙な小国

中立モレネ(Neutral Moresnet)は、1816年から1920年まで、現在のベルギーとドイツの国境付近に存在した、特異な共同主権地域です。面積わずか3.5平方キロメートル、人口はピーク時でも約5000人程度の小さな地域でしたが、その歴史は国際政治の複雑さと、そこに暮らした人々の創意工夫に満ちた、興味深いものです。

誕生：ウィーン会議と菱亜鉛鉱

[ナポレオン戦争]]後のヨーロッパ再編において、ウィーン会議]で、[[プロイセン王国とネーデルラント連合王国（後のベルギー）の国境画定が行われました。両国は既存の国境線をほぼ踏襲することで合意しましたが、アーヘンの南西にあるモレネ地域をめぐって対立しました。この地域には、当時ヨーロッパでイギリスのブリストル以外では唯一の亜鉛生産地であった、重要な菱亜鉛鉱山「ヴィエイユ・モンターニュ」(Vieille Montagne、フランス語で「古い山」、ドイツ語でAltenberg)が存在したためです。

この紛争を解決するため、1816年6月26日、両国はモレネ地域を三分割することで合意しました。東部はプロイセン領（プロイシッシュ・モーレスネット）、西部はネーデルラント連合王国領となり、中央部、すなわち亜鉛鉱山と集落を含む地域は、将来の合意が成立するまで共同統治地域、いわゆる「中立地帯」とされました。両国の軍隊の駐留は禁止され、中立モレネとして独自の行政が敷かれました。1830年のベルギー独立後、オランダの権利はベルギーが継承しましたが、オランダは公式には統治権を放棄しませんでした。

独自の行政と自治

中立モレネの行政は、プロイセンとベルギーから派遣された理事官2名によって行われ、両者によって任命された市長が地域の行政の長を務めました。法律はナポレオン法典が適用されましたが、独自の裁判所はなく、紛争発生時は両国の裁判官が臨時に赴任しました。1859年には、諮問機関としての市評議会が設置されましたが、住民の選挙権はありませんでした。

中立モレネの住民は、当初無国籍状態とみなされ、独自の軍事力も持ちませんでした。しかし、19世紀後半には、プロイセンとベルギーはそれぞれ自国民の徴兵を開始し、兵役免除は先住民族の子孫のみに限られるようになりました。

廃鉱とエスペラント国家構想

1885年、ヴィエイユ・モンターニュ鉱山の閉鎖により、中立モレネの存続が危ぶまれるようになりました。この状況下で、1886年には、鉱山病院の医師で切手収集家でもあったウィルヘルム・モリー博士が、独自の郵便制度と切手の発行を提案しましたが、ベルギーの介入により実現しませんでした。また、カジノ開設の試みもありましたが、厳しい規制やプロイセン王の介入により頓挫しました。

その後、モリー博士は1908年、中立モレネをエスペラントを公用語とする国家「アミケーヨ（Amikejo）」とする大胆な構想を提案しました。エスペラントによる国歌も作られ、地元住民の一部はエスペラントを学習し、この構想を支持しました。しかし、プロイセンとベルギーの領有権主張が継続したため、実現には至りませんでした。

第一次世界大戦と終焉

第一次世界大戦の勃発により、中立モレネの「中立」は崩壊しました。1914年8月、ドイツ軍がベルギーに侵攻し、中立モレネは1915年にプロイセンに併合されました。しかし、この併合は国際的な承認を得られませんでした。

1918年の休戦協定と1919年のヴェルサイユ条約によって、中立モレネはベルギー領に編入されることとなり、100年続いた「一時的な中立地帯」の歴史に幕が閉じられました。1920年1月10日、中立モレネは正式にベルギー領となり、ケルミスと改称されました。

その後の歴史と遺産

中立モレネは、その後、オイペン、マルメディと同様にベルギーの歴史を歩み、第二次世界大戦中のドイツ占領、1944年のベルギーへの復帰などを経験しました。現在も、ノイ・モーレスネットのGöhltal Museumでは、中立モレネの歴史に関する展示が行われ、国境に残る境界標識は、その特異な歴史を物語っています。ヴィエイユ・モンターニュ社は鉱山の閉鎖後も存続し、現代のユミコアなどのグローバル企業につながる系譜を築いています。中立モレネは、国際政治の狭間で生まれた小さな国ですが、そのユニークな歴史は、人々の記憶にしっかりと刻まれています。

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