ヤッシャ・ホーレンシュタイン

ヤッシャ・ホーレンシュタイン

ヤッシャ・ホーレンシュタイン（Jascha Horenstein, 1898年5月6日 - 1973年4月2日）は、ウクライナに生まれ、アメリカ合衆国を拠点に国際的に活動したユダヤ系の指揮者です。

生涯

1898年5月6日、帝政ロシア領だったウクライナのキエフにて、ロシア人の父とオーストリア人の母の間に生まれました。少年時代の1911年、家族と共にウィーンへ移り住み、音楽の道を志します。ウィーンでは、作曲家フランツ・シュレーカーらから指導を受け、音楽家としての基礎を築きました。その後、ベルリンへと活動の場を移し、当時ドイツ音楽界の巨匠であったヴィルヘルム・フルトヴェングラーのアシスタントを務めることで、実践的な指揮法や音楽解釈を学びました。1920年代には、ウィーン交響楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団といったヨーロッパ屈指のオーケストラを指揮し、その才能を認められるようになります。

しかし、1933年にナチスがドイツで政権を掌握すると、ユダヤ系であったホーレンシュタインは活動の継続が困難となり、祖国を離れることを余儀なくされました。世界各地を転々とした後、1940年にアメリカ合衆国へ渡り、最終的にアメリカの市民権を獲得しました。第二次世界大戦後もヨーロッパを中心に客演指揮者として活躍を続けましたが、1973年4月2日、訪問先のロンドンでその生涯を閉じています。

音楽活動と評価

ホーレンシュタインは、特に現代音楽の熱心な支持者として記憶されています。まだ一般的ではなかった時代から、アルバン・ベルクやロベルト・シンプソンといった20世紀の作曲家の作品を積極的に取り上げました。1929年には、ベルクの『叙情組曲』の弦楽合奏版の世界初演を手掛け、同作品の普及に貢献しました。また、1950年には、ベルクのオペラ『ヴォツェック』を演奏会形式で初めて上演するという画期的な試みを行っています。これらの活動は、当時の聴衆にとって馴染みの薄かった難解な作品への理解を深める上で重要な役割を果たしました。

現代音楽だけでなく、後ロマン派の巨匠であるアントン・ブルックナーやグスタフ・マーラーの作品を、彼らがまだ広範な人気を獲得する以前から擁護し、その真価を世に問うた先駆者でもあります。ホーレンシュタインによるこれらの作曲家の解釈は、しばしば深い精神性と壮大な構築性によって評価されました。

彼の指揮者としての比類なき能力を示す伝説的なエピソードとして、1959年3月20日にロンドンで行われたマーラーの交響曲第8番変ホ長調、通称「千人の交響曲」の演奏が挙げられます。この演奏は、イギリスBBCが年度末の予算消化のため急遽企画したもので、大人数の演奏者を必要とするこの巨大な作品を、一切の総練習なし、しかもホーレンシュタイン自身がその時初めて指揮するという驚くべき条件のもとで実施されました。常識的には不可能と思われたこの演奏会は、ホーレンシュタインの卓越した譜読み能力と即応性、そしてオーケストラと合唱団をまとめ上げる驚異的な手腕によって、見事に成功を収め、音楽史に残る伝説となりました。

ヴァイオリニストのイヴリー・ギトリスは、ホーレンシュタインの指揮について「とても優秀」であったと評価しており、彼の高度な音楽性と技術を証言しています。ロベルト・シンプソンの交響曲第3番の録音など、彼の残したディスクは今日でも多くの愛好家に聴き継がれています。

家族

ホーレンシュタインの姉は、著名なピアニストであるレオ・シロタと結婚しました。その姪にあたるベアテ・シロタ・ゴードンは、戦後日本のGHQ（連合国軍最高司令官総司令部）憲法草案制定会議のメンバーとして、日本国憲法の起草、特に女性の権利に関する条項の策定に深く関わったことで知られています。このような家族関係も、ホーレンシュタインの多様な背景を物語る一端と言えるでしょう。

ヤッシャ・ホーレンシュタインは、激動の時代を生き抜きながら、現代音楽や後ロマン派の重要な作品の普及に尽力し、その特異な才能によって音楽史に確かな足跡を残した指揮者です。

参考文献: イヴリー・ギトリス 著、今井田博 訳『魂と弦』春秋社、2000年 ※内容は本記事のためにリライトしています。*

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