ランディー・ソーンヒル

ランディ・ソーンヒル（Randy Thornhill）は、アメリカ合衆国の著名な動物行動学者であり、ニューメキシコ大学の生物学教授を務めています。

1974年にミシガン大学で動物学の学位を取得して以来、ソーンヒル博士は進化生物学のレンズを通して様々な生物の行動様式を探求してきました。彼の初期の研究対象には、ガガンボモドキやシリアゲムシといった昆虫、そして鳥類であるセキショクヤケイが含まれます。これらの研究を通じて、彼は生物の複雑な行動、特に繁殖に関連する行動の進化的な基盤について深い知見を得ました。

中でもシリアゲムシの性行動に見られる特異な現象は、彼を人間の行動に関する研究へと導く重要な契機となりました。この昆虫の一部に見られる、相手の意思に反する形での交尾行動の観察が、後の人間のレイプ行動に関する進化生物学的研究の着想源となったとされています。

1980年代半ばから、ソーンヒル博士は人間のレイプ行動を進化生物学的な視点から分析する研究を進めました。この革新的な、しかし極めて議論を呼ぶ研究成果は、2000年に『人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす』と題する著書として発表されました（邦訳は2006年に刊行）。

この著書は、人間のレイプ行動を進化的な繁殖戦略の一部として位置づける可能性を示唆したため、出版されるやいなや学術界、特に社会学者やフェミニストを中心に大きな反発と非難を巻き起こしました。批判者たちは、ソーンヒル博士の研究がレイプという極めて深刻な暴力的行為を生物学的な必然性として捉え、結果としてその行為を正当化している、あるいは矮小化しているのではないかと主張しました。また、人間の複雑な行動を繁殖という単一の視点のみで説明しようとする試みは不十分であり、「お話作り」に過ぎないという厳しい意見も出されました。

これに対し、ソーンヒル博士自身も強く反論しました。彼は、レイプ行動を性的欲望ではなく家父長制における権力の象徴であると説明するなど、生物学的根拠に乏しいとする社会学的・フェミニスト的アプローチによる説明を、「根拠のない作り話」であると批判しました。彼は、自身の研究はレイプの原因やメカニズムを進化的に理解しようとする試みであり、その行為を倫理的に肯定するものではないと強調しました。

ソーンヒル博士に向けられたこれらの批判と、それに対する彼の反論は、その後の進化心理学に対する批判の誤謬を示す代表例としてしばしば引用されることになります。著名な進化心理学者であるスティーブン・ピンカーらは、ある行動を科学的に研究し、その生物学的基盤を明らかにすることと、その行動を社会的に、あるいは倫理的に是認することとは全く別問題であると指摘し、ソーンヒル博士の研究アプローチが不当に攻撃されているという見解を示しました。つまり、何かの現象を研究するという行為そのものが、その現象の善悪を判断することとは峻別されるべきだという論点です。

ソーンヒル博士は、初期の研究成果をまとめた『ガガンボモドキのおかしな性行動』（日高敏隆訳、1983年）などの著書もあり、昆虫の性行動研究においても重要な貢献をしています。しかし、やはり人間の性行動、特にレイプに関する進化生物学的な研究が、彼の名を最も広く知らしめ、同時に激しい論争の中心に置くことになったと言えるでしょう。

彼の研究は、人間の最も暗い側面の一つに科学の光を当てようとする試みとして、学術界と社会の間でいかに科学的探求の対象と倫理的評価が絡み合い、深い対立を生みうるかを示す重要な事例となっています。

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