ヴェルサイユ即興劇

『ヴェルサイユ即興劇』解説

モリエールが1663年に発表した一幕の戯曲で、同年10月14日にヴェルサイユ宮殿で初演されました。この作品の最も特徴的な点は、モリエール自身の劇団に所属する俳優たちが、劇中劇の中で自分自身を演じるという、独特のメタフィクション的な構造を持っていることです。

本作は、1662年に公開されたモリエールの代表作の一つ、『女房学校』を巡って発生した「喜劇の戦争」と呼ばれる激しい論争の渦中で生まれました。モリエールは既に前作『女房学校批判』で一度批判に応答していましたが、劇作家ジャン・ドノー・ド・ヴィゼやブールソーらからの攻撃は止みませんでした。このような状況下、国王陛下から「受けた悪口を題材にした喜劇を書け」という異例の命令を受けて制作されたのが、この『ヴェルサイユ即興劇』です。いわば、論争に対するモリエールの第二の反論、そして最終的な反論となった作品です。

物語の舞台は、ヴェルサイユ宮殿内の劇場。劇団座長であるモリエール（モリエール自身が演じる役）は、国王陛下が臨席されるまでの限られた時間を利用して、これから上演する新しい喜劇の稽古を始めようとします。しかし、劇団員たちはこれから演じる作品の内容や、自分たちに割り当てられた役柄について全く知らされておらず、困惑を隠せません。座長モリエールは、一人ひとりに丁寧に役の説明を行い、演技指導を試みながら、何とか稽古を開始しようと奮闘します。

劇中劇の形式で描かれるのは、劇団員たちが演じる様々な人物の会話です。例えば、ラ・グランジュとモリエールが演じる、少々荒々しい二人の侯爵が偶然出会い、『女房学校』に登場する侯爵が自分たちのどちらをモデルにしたのかで言い争いを始めます。そこへ、洗練された上流紳士を演じるブレクールが現れ、二人は彼に仲裁を求めます。ブレクールは「モリエールが描いた人物は特定の個人を指すのではなく、広く社会の風俗を描いた架空の存在だ」と説明しますが、論争は解決しません。続いて、気取った侯爵夫人や皮肉な才女に扮した女優たち、さらに詩人や才女を演じる他の劇団員も加わり、『女房学校』への批判やその内容について議論が展開されます。この中で、ブレクールだけが唯一モリエールの立場を擁護します。

しかし、劇団員の中には、役から離れて劇団員としてモリエールの脚本に意見する者も現れます。貞淑ぶる女性や艶っぽい賢女を演じる女優たちは、「敵対者への反論が不十分だ、もっと手厳しく非難すべきだ」と主張します。これに対し、モリエールは「それは売名行為を図る相手の思うがままであり、彼らを喜ばせるだけだ」と冷静に反論し、改めて稽古を続けようとします。ところが、そのタイミングで国王陛下が到着してしまい、稽古は途中で打ち切らざるを得なくなります。モリエールは劇団員たちに、後は各自で上手く対応するように指示します。

ところが、十分な稽古ができなかったことで、女優たちは極度に不安になり、体が震えてしまいます。モリエールは国王に上演までの猶予を願いますが、女優たちの動揺は収まらず、一向に上演を開始することができません。結局、国王陛下の温かい計らいにより、その日は別の演目を上演することが許されます。モリエールは国王に対し、深い感謝の意を捧げるのでした。

本作は、論争への反論という点では『女房学校批判』と共通していますが、『女房学校批判』が対話形式の論説に近い構成であったのに対し、本作は登場人物が役を演じる通常の劇の形式を取っている点が異なります。劇中には、当時のモリエールの明確な敵対者への直接的な批判が多数盛り込まれています。

例えば、本作が公開される少し前にモリエールを攻撃した劇作家ブールソーについては、『女房学校批判』に続いて、本作でも「ぼんくら作者」と酷評しています。さらに、ブールソーのような人物を劇で批判すること自体が、相手の売名行為を手助けすることになると強く非難します。モリエールは劇中で、敵対者は安易に有名になるために攻撃してくるのであり、彼らに利益になるなら自作も自分自身さえ喜んで与えても良い、ただし個人的な誹謗中傷はやめてほしい、といった趣旨の発言をさせています。これは、「喜劇の戦争」において、作品内容への批判だけでなく、ジャン・ドノー・ド・ヴィゼが「モリエールが多くの作品でコキュ（妻に裏切られた夫）を嘲笑するのは、彼自身がそうだからだ」と書いたり、モンフルーリが同様の記述をしたりするなど、モリエールが私的な領域に踏み込んだ攻撃を受けていたことへの痛烈な反駁でもあります。

また、本作にはモリエール劇団のライバルであったブルゴーニュ劇場の俳優たちの演技スタイルに対する批判も含まれています。ブルゴーニュ劇場の俳優たちは、当時、大げさで感情過多な演技で知られており、自然な演技を理想とするモリエールは、劇中でこうした対照的な演劇観についても言及しています。

『ヴェルサイユ即興劇』は、モリエールが「喜劇の戦争」において公に行った最後の直接的な反論となりました。以降、モリエールは敵対者の批判に表立って応答することはなくなります。この作品は、当時の劇作家たちが置かれていた論争の状況、モリエールの演劇観、そして彼が直面した個人的な攻撃に対する姿勢を知る上で、非常に重要な資料と言えるでしょう。

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