予防原則

予防原則：不確実性への対応

予防原則とは、科学的な因果関係が完全に解明されていない段階であっても、環境や人の健康に重大かつ回復不可能な悪影響を及ぼす可能性がある場合に、予防的な措置を講じる考え方、あるいは制度のことです。近年、化学物質や遺伝子組換え技術といった新技術の利用に伴うリスク管理において、重要な概念となっています。

歴史と概要

「予防原則」という概念は、1970年代のドイツで生まれたと言われています。その後、国際的な環境問題への対応において徐々に注目を集め、オゾン層保護のための国際条約であるウィーン条約やモントリオール議定書などにもその考え方が反映されています。

欧州連合（EU）では、1992年のマーストリヒト条約で環境政策の基本原則として予防原則が明記されました。ただし、具体的な定義は条約には含まれていません。その後、2002年の欧州食品法典では、科学的知見が不十分な状況において、リスク管理上の選択肢として予防原則が位置づけられました。この定義では、予防原則を絶対的な禁止規定としてではなく、リスク管理における一つの手段として捉えていることが分かります。

一方、1992年のリオデジャネイロ宣言では、「予防的アプローチ」という表現が用いられています。これは、「疑わしきは罰す」という単純な考え方とは区別するため、よりニュアンスのある表現として用いられていると考えられます。その後、様々な国際条約や国内法に予防原則の考え方が取り入れられていますが、国際的な場では「予防的アプローチ」という用語を用いるケースが多く見られます。

ウィングスプレッド宣言

アメリカ合衆国ウィスコンシン州ラシーンで開催されたウィングスプレッド会議は、環境問題に関する研究者や活動家が集まる重要な会議です。1998年の第7回会議では、「ウィングスプレッド宣言」が発表され、予防原則についての具体的な定義が提示されました。この宣言では、リスクの発生源に挙証責任があるという考え方などが示されており、予防原則の解釈において重要な位置付けとなっています。ただし、この宣言は「疑わしきは罰す」という考え方にやや傾斜しているという指摘もあります。

予防原則と科学的評価

予防原則は、科学的な根拠が不十分な状況においても、潜在的なリスクを回避するために予防措置を講じることを主張しています。しかし、これは「科学的根拠を無視して、何でも禁止する」という意味ではありません。EUにおいても、予防原則を適用する際には、可能な限り総合的な科学的評価を行い、「許容可能なリスク」水準を考慮する必要があるとされています。

つまり、予防原則は、科学的知見が不完全な状況におけるリスク管理のためのツールであり、科学的根拠に基づいた慎重な判断とバランスの取れた対応が求められます。予防原則の適用は、社会的な価値観や経済的な影響なども考慮した上で、慎重に検討されるべきです。

予防原則をめぐる議論

予防原則は、その適用範囲や解釈をめぐって様々な議論が展開されています。特に、新技術の開発や導入に対する規制においては、予防原則の適用によって経済活動への影響が懸念される一方、環境や健康へのリスクを放置することによる負の影響も懸念されます。このため、予防原則の適用にあたっては、科学的知見の収集・分析、リスクアセスメント、社会的な合意形成といったプロセスが不可欠です。

予防原則は、不確実な状況下での意思決定における重要な概念であり、その適切な運用が求められています。今後の技術革新や環境問題への対応において、予防原則はますます重要な役割を果たしていくと考えられます。

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