京都・島根ジフテリア予防接種事件

京都・島根ジフテリア予防接種事件は、1948年に日本の京都府と島根県で発生した、ジフテリア予防接種に関する重大な医療過誤です。この事件は、第二次世界大戦後の日本で最初に顕在化した薬害事件と位置づけられています。毒素が十分に無毒化されていない欠陥ワクチンが使用されたことにより、特に乳幼児を中心に80名を超える死者を出し、後遺症を含む被害者は千人以上に及んだとされ、世界史上でも類を見ない大規模な予防接種事故となりました。「ジフテリア禍事件」や「ジフテリア予防接種禍事件」とも呼ばれます。

事件発生の背景

ジフテリアは、ジフテリア菌が産生する強力な毒素によって引き起こされる重篤な感染症です。現代の日本では、混合ワクチン接種が進んだことで国内発生はほぼ見られなくなっていますが、当時は多くの生命を脅かす病気でした。

終戦直後の1945年、日本では約8万6千件ものジフテリア患者が発生し、約800人が命を落とすなど、猛威を振るっていました。こうした状況下、日本を占領下に置いていた連合国軍最高司令官総司令部（GHQ）は、自軍兵士の安全確保も兼ねて、日本政府に対し、ジフテリア予防接種の緊急実施を強く求めました。GHQからの強い要求とジフテリア流行への懸念から、予防接種は極めて性急に進められることになります。1948年11月4日からは、新たに施行された予防接種法に基づき、全国で一斉に接種が開始されました。

事故の詳細な経緯

ジフテリアの予防接種には、ジフテリア菌の毒素を化学的に処理して無害化した「トキソイド」と呼ばれるワクチンが用いられます。しかし、この事件で使用されたワクチンの一部では、毒素の無毒化が不十分なまま出荷されていました。

京都府では、1948年11月4日以降、約10万人に対して予防接種が実施されました。その中で、毒素が残存したワクチンを接種した多くの乳幼児が体調不良を訴え、606名が発症、最終的に68名が死亡するという甚大な被害が発生しました。

京都での異常事態が報告された後も、島根県では同年11月11日から接種が再開されてしまいました。島根県御津村（現在の松江市の一部）では、11月25日までに接種を受けた248人が発熱などの症状を呈し、うち18名の尊い命が失われました。当初、問題のロット番号は「1013号」であると報告されましたが、実際には、問題とされたロット番号以外にも毒素が含まれるワクチンが存在していたことが後に判明しました。この直接的な死亡者数に加え、神経麻痺などの重い後遺症を抱える患者も多数発生したとされていますが、体系的な追跡調査が行われなかったため、被害全体の正確な規模は不明なままです。

事故の原因と事後処理

この悲劇の背景には、いくつかの要因が複合的に絡み合っていました。まず、GHQからの性急な接種命令により、国内のワクチン製造・供給体制が十分に整わないまま、短期間で大量のワクチンを製造する必要に迫られたことが挙げられます。また、予防接種の実施が罰則付きで推奨されたことも、混乱を招いた一因と考えられます。

国は当初、製造されたワクチンの中から有害なものが偶然に抜き取られなかったためと説明しましたが、実際には製造過程における品質管理の杜撰さ、さらには製造業者と検定機関との間の連携や検査体制に重大な不備があったことが指摘されています。製造業者が検定のために不正なサンプルを提出した可能性も指摘されています。

事件後、ワクチンの製造責任者には刑事罰が科されましたが、検査機関側の担当者は無罪となりました。当時の法制度では、一般市民が国を相手に賠償を求める訴訟を起こすことは容易ではなく、国は法的責任追及を避ける姿勢を見せました。

国は裁判による責任追及を避けるため、被害者や遺族に対して弔慰金を支払うことで事態の収束を図りました。この国の対応は、その後の予防接種による他の被害者に対する救済制度の確立を遅らせる一因ともなったと指摘されています。事件自体は時間の経過とともに社会の記憶から薄れていきましたが、生き残った被害者やその家族は、身体的な後遺症に加え、当時の社会におけるいじめや差別にも長く苦しむこととなりました。この事件は、公衆衛生政策における安全性確保の重要性と、薬害被害者救済のあり方について、現代に重い教訓を残しています。

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