即興曲 (リスト)

即興曲（Impromptu）嬰ヘ長調 S.191

フランツ・リストが1872年に世に送り出したピアノのための作品、『即興曲』嬰ヘ長調 S.191は、彼の創作活動における円熟期、そして来るべき晩年様式の萌芽を示す重要な小品です。

この楽曲は、リストが作曲当時交流を深めていたオルガ・フォン・マイエンドルフ男爵夫人に献呈されました。オルガ夫人は、若く有能なロシア人外交官の妻でしたが、1871年に夫を亡くし、その後ヴァイマルに移り住みます。そこで彼女は、晩年に差し掛かっていたリストにとって、単なるパトロンに留まらず、精神的な支えとなる良き理解者として寄り添いました。この即興曲は、そんな彼女との親密な交流の中から生まれた、献辞に込められた感謝と敬意の証と言えるでしょう。

作品の名称については興味深い経緯があります。初版が刊行された際には、「夜想曲（Nocturne）」という標題が与えられていました。しかし、その後の版で「即興曲（Impromptu）」へと変更されます。今日、「即興曲（夜想曲）」という別称が使われることがあるのは、この標題の変遷に由来しています。また、献呈を受けたマイエンドルフ男爵夫人の旧姓である「ゴルチャコフ（Gortschakoff）」にちなみ、「ゴルチャコフ即興曲」と呼ばれることもあります。

楽曲は、アニマート（生き生きと）、コン・パッショーネ（情熱を込めて）という指示の通り、冒頭から躍動感と情熱に満ちた表情を見せます。拍子は4分の4拍子。全体の構成は基本的な3部形式に則っていますが、終盤の再現部分は簡潔にまとめられており、書法全体も洗練された筆致で描かれています。

音楽的な特徴としては、リストの後半生の作品らしい、甘美でロマンティックな旋律と豊かなハーモニーが耳を引きます。しかし、調性は嬰ヘ長調という明るい響きを持ちながらも、その和声的な展開にはどこか曖昧で捉えどころのない色彩が宿っています。これは、リストが同時期から晩年にかけて追求し始めた、従来の調性システムから逸脱するような革新的な音楽語法の片鱗であり、後期作品特有の瞑想的あるいは実験的な響きへの先駆けと捉えることができます。ロマン派的な美しさと、未来を見据えたような和声的な探求が見事に融合した、リストならではの作品と言えるでしょう。

演奏時間はおよそ3分半と短いながらも、リストの作曲家としての多面性と、人間的な温かさが凝縮された珠玉の小品であり、彼のピアノ作品群の中でも特に愛好される一曲となっています。

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