告げ口心臓

エドガー・アラン・ポー『告げ口心臓』：狂気と罪悪感の深淵

エドガー・アラン・ポーの1843年発表の短編小説『告げ口心臓』(原題: The Tell-Tale Heart)は、語り手が犯した殺人を詳細に語りながら、自身の正気を主張するという、衝撃的な物語です。日本語では『告げ口心臓』の他に『物言ふ心臓』『おしやべり心臟』『裏切る心臓』『告げ口する心臓』など、複数の邦題が存在します。

物語のあらすじ

一人称視点で語られる物語は、神経質な語り手が、自身の正気を強調しながらも、老人の殺害について克明に描写するところから始まります。語り手は老人と同居しており、老人の濁った青白い目を「ハゲワシの目」と表現し、強い嫌悪感を抱いています。老人を愛しているとも主張するものの、その目は許せず、遂に殺害を決意します。

7日間、夜毎に老人の部屋に入り、ランタンの光で目を照らそうとしますが、老人の目は常に閉じられていました。8日目の夜、うっかり物音を立て、老人が目を覚まします。それでも動じない語り手は、ランタンの光を老人の目に当てた瞬間、見開かれた目と、心臓の高鳴る音を認識します。恐怖に駆られた語り手は老人に襲いかかり、殺害。その後、死体を解体し、床下に隠蔽します。

警察を招き入れ、冷静を装う語り手でしたが、次第に床下から聞こえる心臓の音（と、語り手は認識している音）が大きくなり、耐えられなくなります。ついに、その音を警察官も聞いていると錯覚し、罪を自白してしまいます。

出版と翻案

『告げ口心臓』は1843年1月、『ザ・パイオニア』誌の創刊号に掲載され、その後も複数回再版されました。当初はヘンリー・ワズワース・ロングフェローの詩の引用を含んでいましたが、ポー自身により削除されています。

この作品は、映画、コミック、バレエ、ゲーム、舞台劇など、様々な形で翻案されており、2023年にはNetflixのミニシリーズ『アッシャー家の崩壊』においても現代劇として取り上げられています。

作品分析：信頼できない語り手と狂気の深層

『告げ口心臓』は「信頼できない語り手」の手法を用いた作品です。語り手の詳細な説明は、彼の偏執狂や精神異常を暗示しています。物語の中心は、完璧な犯罪計画という倒錯した行為です。

語り手の性別は明示されていませんが、一般的には男性と推測されています。物語は、既に何者かと会話している最中から始まります。その相手は、看守、裁判官、記者、医師、あるいは精神科医など、様々な可能性が考えられます。

語り手は自身の正気を主張するために、犯行を詳細に語り、計画性や正確さを強調することで狂気を否定しようとします。しかし、動機が曖昧である点、殺意が日夜脳裏を支配していたという矛盾が、彼の心理的混乱を示しています。

物語のクライマックスは、語り手の罪悪感の爆発です。彼は自身の感覚過敏により、床下から老人の心臓の音を聞く、と錯覚します。この音は、実際にはシバンムシの音、あるいは語り手自身の心臓の音、もしくは単なる幻聴である可能性も指摘されています。

語り手が統合失調症を患っていた可能性も考えられます。幻聴は統合失調症の症状の一つであり、特定の音源がなくても発生する可能性があるからです。

老人と語り手の関係は不明瞭です。2人の名前、職業、住居などは明らかにされていません。しかし、語り手が老人の使用人であるか、あるいは息子であるという推測がされています。もし息子であれば、老人の目は父権や道徳の象徴であり、その目を殺すことは道義心を捨てることを意味するのかもしれません。

リチャード・ウィルバーは、『告げ口心臓』がポーの詩『科学へ』の寓話的表現であり、老人が科学的理性、語り手が空想を表しているという説を唱えています。

さまざまな解釈

『告げ口心臓』は、狂気、罪悪感、人間の深層心理を深く掘り下げた作品であり、様々な解釈が可能です。感覚過敏、幻聴、透明性の錯覚といった要素も考察の対象となっています。語り手の動機、老人との関係性、そして物語の結末に至るまでの過程は、読者に多くの問いを投げかけ、深い思考を促します。この作品は、今もなお、多くの読者や研究者を引きつけ、読み解き続けられているのです。

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