嚢

手塚治虫によって描かれた短編漫画『嚢』（ふくろ）は、1968年に『漫画サンデー』増刊号へ掲載された、ホラーとミステリーの要素が織り交ぜられた作品です。日常的な出会いから始まり、やがて読者を戦慄させる結末へと導く物語は、人間の身体と意識のあり方について深く問いかけます。

物語は、ある雨の日に始まります。突然の雨に降られた主人公の青年は、雨宿りのために入った喫茶店で綾野リカと名乗る美しい少女と出会います。意気投合した二人は話し込むうちに惹かれ合い、再会を約束。その後、二人の関係は順調に深まっていき、青年はリカとの結婚を決意するほどになります。

結婚の許しを得るため、主人公はリカの家を訪れます。ところが、応対した母親は青年の言葉に困惑した様子を見せます。「リカという娘はいない。マリならいる」と答える母親の言葉に、青年は混乱します。リカから姉が一人いると聞いていたものの、「リカ」という名前が存在しないと言われたからです。母親の勧めで会わせてもらったマリは、外見はリカと瓜二つでありながら、その人柄は全く異なっていました。マリは6月20日に病院で精密検査を受ける予定だと言います。6月20日という日付が、なぜかリカが強く気にしていた日であることを主人公は思い出します。不審に思った主人公は、マリの担当医に話を聞きに行きます。

医師は主人公に対し、マリは本人には直前まで伏せられているが、実は嚢腫の摘出手術を受ける予定であると明かします。そして手術前日の6月19日、突然リカが主人公の前に姿を現します。主人公は姉であるマリのことについて問い詰めますが、リカは何も答えようとしません。マリについては一言も触れず、「会えるのはこれが最後」「自分は遠い所へ行ってしまう」とだけ告げます。そして「できれば明日、病院へ来て欲しい。自分も行く」と言い残し、謎めいた言葉を残して姿を消しました。

リカに言われた通り、6月20日に主人公は病院へと足を運びます。マリの手術は無事に終わりました。手術を終えた医師は、摘出されたものが「畸形嚢腫」であると主人公に説明します。畸形嚢腫とは、本来双子として生まれるはずだった胎児の一方が、もう一方の体内に取り込まれてしまい、そのまま不完全に成長した状態で嚢腫となったものを指すと言います。通常、嚢腫の中には歯や髪の毛、あるいは手足の一部などが入っていることが多いのですが、マリの嚢腫の中には非常に珍しいことに、脳みそが一人分丸々入っていたのだと医師は語ります。つまり、双子として生まれるはずだった片割れが、脳だけが成長した状態でマリの体内に宿っていたのです。長年嚢腫の標本を見てきた医師も、このような例は初めてだと感慨深げに語ります。

「脳みそは腹の中で生きていた…ってわけです。マリさんはふたつの脳を持って…どういう生活をしていたんですかねえ…」

医師に懇願して、摘出された畸形嚢腫を見せてもらった主人公は、それを見て「リカ！」と叫び、大粒の涙を流すのでした。この衝撃的な結末は、青年が出会った「綾野リカ」という存在の正体を示唆すると共に、肉体と精神のあり方、そして人間の根源的な繋がりについて、読者に強烈な印象を残します。

本作は、講談社から刊行された手塚治虫漫画全集の『時計仕掛けのりんご』巻に収録されています。

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