失念

失念（しつねん）

仏教において、衆生が苦しみから逃れ、悟りへと至る道を妨げる心の働きは「煩悩」と呼ばれます。失念（しつねん）は、この煩悩の一種として数えられます。具体的には、心があるべき対象に定まらず、注意が散漫になる状態や、心に留めておくべき事柄、特に仏道の重要な教えや規範を忘れてしまう精神作用を指します。単純な物忘れというよりは、正念（しょうねん）を失い、心の集中や対象への気づきが損なわれている状態と理解されます。

仏教思想における煩悩は、根本的なもの（根本煩悩）と、それに随伴して生じるもの（随煩悩）に大別されます。失念は、このうち随煩悩に分類されます。随煩悩はさらに、大随煩悩、中随煩悩、小随煩悩の三種に分けられますが、『大乗百法明門論』などの典籍によれば、失念は大随煩悩の一つに位置づけられています。大随煩悩は、煩悩が生起する際に比較的広範な心の状態に影響を与えると考えられています。

経典においても失念への言及が見られます。例えば、唯識思想の根幹をなす『唯識三十頌』の第14頌には、「放逸及失念　散亂不正知」（ほういつぎゅうしつねん　さんらんふしょうち）という句があります。これは、放逸（なまけること）、失念（注意散漫や忘却）、散乱（心が乱れ散ること）、不正知（物事を正しく認識できないこと）といった、心の汚れや乱れを示す概念が並べられています。このことからも、失念が他の煩悩や心の乱れと密接に関連しており、修行の妨げとなる重要な要素として捉えられていたことがわかります。

失念がもたらす影響は小さくありません。仏道修行においては、教えを深く理解し、実践することが求められます。しかし、失念の心が働くと、学んだ教えをすぐに忘れてしまったり、瞑想などで心を集中させようとしても注意がそれてしまったりします。これは、正しく物事を観察し、智慧を生み出す妨げとなります。また、日々の生活においても、失念は過ちを犯す原因となったり、他者との関係において不注意による問題を引き起こしたりする可能性があります。

仏教では、このような失念の状態を克服するために、正念を培うことの重要性が説かれます。正念とは、今この瞬間に心をおき、物事をありのままに観察する集中した気づきの状態です。瞑想（特にサマタ瞑想やヴィパッサナー瞑想）や、日常の中での気づきの実践（マインドフルネス）は、失念の心を克服し、心を落ち着かせ、集中力と洞察力を養うための有効な手段とされています。失念という煩悩を認識し、それを乗り越えようと努めることが、解脱への道を歩む上で不可欠なステップであると考えられています。

このように、失念は単なる「うっかり」や「忘れっぽい」といった日常的な感覚を超え、仏教においては修行を妨げ、心の清らかさを曇らせる煩悩として深く分析されています。大随煩悩としての位置づけは、その影響力の大きさを示唆しており、仏道修行者は正念を確立することで、この心の作用を乗り越えることを目指します。

目指します。失念指します。は、心に留めるべき事柄を忘れてしまう状態であり、特に仏法の教えや規範を記憶し、心にとどめておくことができないことを意味します。また、対象に対する注意を失い、心が散漫になる状態も含まれます。

この失念は、煩悩の中でも根本煩悩に随って生じる随煩悩に分類されます。『大乗百法明門論』などの仏教の論書では、随煩悩はさらに三つに分けられますが、失念はその中でも特に影響力が大きいとされる大随煩悩の一つに数えられています。

仏教経典においても失念への言及は見られます。例えば、唯識教学の基本文献である『唯識三十頌』の第14頌には、「放逸及失念　散亂不正知」という一節があります。これは、放逸（仏道修行を怠り、身勝手に振る舞うこと）、失念（注意散漫や忘却）、散乱（心が集中せず乱れ動くこと）、不正知（物事を正しく認識できないこと）といった、心の乱れや無明に関連する状態が並べられています。このことから、失念が単独で存在するのではなく、他の心の汚れや無益な心の働きと密接に関連していることが示唆されます。

失念が仏道修行に与える影響は無視できません。教えを心に刻み、実践するためには、まずそれを記憶し、常に意識しておく必要があります。しかし、失念の心が強いと、学んだ教義や修行の方法を忘れやすく、実践がおろそかになります。また、瞑想などで心を一つの対象に集中させようとする際にも、心が様々な事柄にそれてしまい、対象への気づき（正念）を維持することが困難になります。これは、智慧を生み出し、煩悩を断つための集中力と観察力を養う上で大きな障害となります。

仏教では、失念を克服し、心を安定させるために、正念（しょうねん）の確立が重要視されます。正念とは、今この瞬間の体験に、批判や評価を加えることなく、ただ注意を向ける心の状態です。これは、仏教の実践、特に瞑想修行の中心的な要素の一つです。正念を訓練することによって、心が過去の後悔や未来の不安、あるいは目の前の対象と無関係な思考にそれて散乱することを防ぎ、心が必要な対象に留まる力を養うことができます。

失念という煩悩を乗り越えることは、単に物忘れをなくすという日常的なレベルに留まらず、仏道の教えを深く自己の内面に定着させ、心を制御し、智慧を開くための重要な修行の側面です。大随煩悩としての失念への認識は、その影響力の大きさを理解し、積極的に正念の確立に取り組むことの重要性を示唆しています。仏道修行者は、失念の心を自覚し、それを手放す努力をすることで、より集中し、気づきに満ちた心の状態を目指すのです。

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