小間物屋政談
落語の演目『小間物屋政談』は、『万両婿』という別名でも知られています。
この物語の主人公は、京橋で小さな小間物屋を営む相良屋の主人、小四郎です。彼は自分で品物を背負って町々を売り歩く、「背負い物売り」でした。
ある時、わずかながら商売で儲けが出た小四郎は、その金元手に上方まで旅をして、さらに大きな商いをしようと思い立ちます。意気揚々と旅立った道中、箱根山の険しい山道を進んでいると、突然腹の具合が悪くなってしまいました。人目を避けるため、小四郎は仕方なく森の中へ分け入ります。
そこで用を足していると、どこからか微かながら助けを求める声が聞こえてきました。不審に思いつつも声のする方へ近づいてみると、なんと一本の樹に肌襦袢一枚の姿で縛り付けられている男を発見します。驚いて声をかけると、その男は江戸でも指折りの大店、若狭屋の主人である甚兵衛だと名乗りました。病気療養のために旅に出ていたところ、道中で山賊のような追い剥ぎに遭い、金品はもとより、着物まで全て奪われてしまったのだと言います。
事の次第を知った小四郎は、甚兵衛の哀れな姿を見過ごすことができませんでした。自分の着替えの着物一式と、持っていた僅かな銭を甚兵衛に与えます。そして、「もし後日、このご恩を返すというお気持ちがおありでしたら」と、自分の名前と京橋にある相良屋の住所を書いた紙を渡して、甚兵衛と別れました。
甚兵衛は小四郎に丁重にお礼を述べ、京橋を目指して帰り道を急ぎます。しかし、旅の疲れと追い剥ぎに遭ったショック、そして元々患っていた病が重なり、帰路で立ち寄った宿で病状を悪化させ、そのまま急逝してしまいます。
宿の者たちは、突然の死に慌てふためきながら、この見慣れない旅人の身元を調べようとしました。その時、甚兵衛の持ち物の中から、小四郎が渡した名前と住所が書かれた紙が出てきたのです。宿の者はこれを故人のものだと勘違いし、遺体を相良屋小四郎のものだと早合点してしまいます。さらに、甚兵衛が身につけていたのは小四郎の着物であり、おまけに顔立ちまで小四郎に瓜二つだったため、知らせを聞いて駆けつけた小四郎の店の大家までも、この遺体が小四郎本人だと信じ込んでしまいます。こうして、甚兵衛の遺体は、誤って小四郎として手厚く葬儀が執り行われてしまったのです。
葬儀が終わり、数週間が経ったある日のことです。留守を小四郎に託されていた大家は、残された女房のおトキに縁談話を持ちかけます。おトキは夫を亡くしたとはいえ、まだまだ若く、このまま一人でいるのは忍びないと考えた大家の親心でした。おトキも大家の考えに納得し、小四郎の遠戚にあたる三五郎を後添えとして迎えることに同意します。三五郎ならば、残された店を守る上でも頼りになり、また男としても申し分ないだろうという判断でした。こうして、大家の手によっておトキと三五郎の縁談は滞りなくまとまってしまいます。
そして、おトキと三五郎の婚礼が済んだ、まさにその初夜のことでした。よりによって、死んだはずの小四郎が元気に帰ってきてしまったのです。突然のことに、おトキと三五郎は幽霊が出たものと大騒ぎし、恐れおののきます。騒ぎを聞きつけ駆けつけた大家も同様に青ざめますが、事情を詳しく聞くうち、帰ってきたのは紛れもない小四郎本人だと分かります。そして、小四郎が助けた若狭屋甚兵衛が自分の遺体と誤認されたこと、そして甚兵衛の遺体が自分と瓜二つだったことなどが明らかになり、ようやく皆この一連の騒動の原因が理解できたのでした。
しかし、一度決まった縁談を今さら無かったことにはできないと、大家は困り果てます。そして、とんでもない提案を小四郎に持ちかけます。「こうなったら、お前さんは本当に幽霊になっておくれ」と、小四郎に死んだことにしてほしいと頼み込むのです。これには小四郎も到底納得がいかず、不条理な境遇を訴えるため、お奉行様のもとへ駆け込みます。
お奉行様も小四郎の話を聞き、その珍妙な事情に驚きます。しかし、仮におトキを小四郎のもとに戻したとしても、三五郎が同じように訴え出てくるのは目に見えています。しかも、小四郎と三五郎は遠戚とはいえ、血縁の繋がりがあります。血を分けた者同士が醜く争うのを見るのは忍びない、と判断したお奉行様は、なんと小四郎に対しても「やはり、お前さんは死んだことにしてはどうか」と勧めるのです。
小四郎は愕然としますが、お奉行様の話はそれで終わりではありませんでした。お奉行様が言うには、相良屋の主人としての小四郎は一旦死んだこととする。しかし、そもそも小四郎がこのような騒動に巻き込まれたのは、他ならぬ若狭屋甚兵衛を助けた善行がきっかけである。そして、偶然にもその若狭屋は主を失って困っている。ならば、小四郎が甚兵衛の跡を継ぎ、若狭屋の新しい主人となるのが筋であろう、と提案したのです。
考えてみれば、相良屋は主人自らが品物を背負って売りに出なければならないような小さな店です。それに対し、若狭屋は奉公人が大勢おり、莫大な財産も抱える江戸一番の大店です。しかも、若狭屋には器量の良い後妻・おトシが残されています。これは小四郎にとって、これ以上ないほど都合の良い話でした。小四郎は迷うことなく、相良屋を捨て、若狭屋の新しい主人として「若狭屋小四郎」となる道を選びます。そして、「これほどの身代と、おまけにこのような美しい女房まで与えてくださったお奉行様の御恩は、一生かかっても背負いきれません」と、深々と頭を下げて感謝の言葉を述べます。
するとお奉行様は、小四郎の言葉に鷹揚に頷き、「なに、もうお前は大きな店の主人となったのだ。だから、これから先は何も背負う必要はない」と、ユーモラスに返したのでした。かくして、小さな小間物屋の主人は、旅先での偶然と善行、そしてお奉行様の奇妙な裁きによって、「万両婿」と呼ばれる大店の主人となったのでした。
この物語の主人公は、京橋で小さな小間物屋を営む相良屋の主人、小四郎です。彼は自分で品物を背負って町々を売り歩く、「背負い物売り」でした。
ある時、わずかながら商売で儲けが出た小四郎は、その金元手に上方まで旅をして、さらに大きな商いをしようと思い立ちます。意気揚々と旅立った道中、箱根山の険しい山道を進んでいると、突然腹の具合が悪くなってしまいました。人目を避けるため、小四郎は仕方なく森の中へ分け入ります。
そこで用を足していると、どこからか微かながら助けを求める声が聞こえてきました。不審に思いつつも声のする方へ近づいてみると、なんと一本の樹に肌襦袢一枚の姿で縛り付けられている男を発見します。驚いて声をかけると、その男は江戸でも指折りの大店、若狭屋の主人である甚兵衛だと名乗りました。病気療養のために旅に出ていたところ、道中で山賊のような追い剥ぎに遭い、金品はもとより、着物まで全て奪われてしまったのだと言います。
事の次第を知った小四郎は、甚兵衛の哀れな姿を見過ごすことができませんでした。自分の着替えの着物一式と、持っていた僅かな銭を甚兵衛に与えます。そして、「もし後日、このご恩を返すというお気持ちがおありでしたら」と、自分の名前と京橋にある相良屋の住所を書いた紙を渡して、甚兵衛と別れました。
甚兵衛は小四郎に丁重にお礼を述べ、京橋を目指して帰り道を急ぎます。しかし、旅の疲れと追い剥ぎに遭ったショック、そして元々患っていた病が重なり、帰路で立ち寄った宿で病状を悪化させ、そのまま急逝してしまいます。
宿の者たちは、突然の死に慌てふためきながら、この見慣れない旅人の身元を調べようとしました。その時、甚兵衛の持ち物の中から、小四郎が渡した名前と住所が書かれた紙が出てきたのです。宿の者はこれを故人のものだと勘違いし、遺体を相良屋小四郎のものだと早合点してしまいます。さらに、甚兵衛が身につけていたのは小四郎の着物であり、おまけに顔立ちまで小四郎に瓜二つだったため、知らせを聞いて駆けつけた小四郎の店の大家までも、この遺体が小四郎本人だと信じ込んでしまいます。こうして、甚兵衛の遺体は、誤って小四郎として手厚く葬儀が執り行われてしまったのです。
葬儀が終わり、数週間が経ったある日のことです。留守を小四郎に託されていた大家は、残された女房のおトキに縁談話を持ちかけます。おトキは夫を亡くしたとはいえ、まだまだ若く、このまま一人でいるのは忍びないと考えた大家の親心でした。おトキも大家の考えに納得し、小四郎の遠戚にあたる三五郎を後添えとして迎えることに同意します。三五郎ならば、残された店を守る上でも頼りになり、また男としても申し分ないだろうという判断でした。こうして、大家の手によっておトキと三五郎の縁談は滞りなくまとまってしまいます。
そして、おトキと三五郎の婚礼が済んだ、まさにその初夜のことでした。よりによって、死んだはずの小四郎が元気に帰ってきてしまったのです。突然のことに、おトキと三五郎は幽霊が出たものと大騒ぎし、恐れおののきます。騒ぎを聞きつけ駆けつけた大家も同様に青ざめますが、事情を詳しく聞くうち、帰ってきたのは紛れもない小四郎本人だと分かります。そして、小四郎が助けた若狭屋甚兵衛が自分の遺体と誤認されたこと、そして甚兵衛の遺体が自分と瓜二つだったことなどが明らかになり、ようやく皆この一連の騒動の原因が理解できたのでした。
しかし、一度決まった縁談を今さら無かったことにはできないと、大家は困り果てます。そして、とんでもない提案を小四郎に持ちかけます。「こうなったら、お前さんは本当に幽霊になっておくれ」と、小四郎に死んだことにしてほしいと頼み込むのです。これには小四郎も到底納得がいかず、不条理な境遇を訴えるため、お奉行様のもとへ駆け込みます。
お奉行様も小四郎の話を聞き、その珍妙な事情に驚きます。しかし、仮におトキを小四郎のもとに戻したとしても、三五郎が同じように訴え出てくるのは目に見えています。しかも、小四郎と三五郎は遠戚とはいえ、血縁の繋がりがあります。血を分けた者同士が醜く争うのを見るのは忍びない、と判断したお奉行様は、なんと小四郎に対しても「やはり、お前さんは死んだことにしてはどうか」と勧めるのです。
小四郎は愕然としますが、お奉行様の話はそれで終わりではありませんでした。お奉行様が言うには、相良屋の主人としての小四郎は一旦死んだこととする。しかし、そもそも小四郎がこのような騒動に巻き込まれたのは、他ならぬ若狭屋甚兵衛を助けた善行がきっかけである。そして、偶然にもその若狭屋は主を失って困っている。ならば、小四郎が甚兵衛の跡を継ぎ、若狭屋の新しい主人となるのが筋であろう、と提案したのです。
考えてみれば、相良屋は主人自らが品物を背負って売りに出なければならないような小さな店です。それに対し、若狭屋は奉公人が大勢おり、莫大な財産も抱える江戸一番の大店です。しかも、若狭屋には器量の良い後妻・おトシが残されています。これは小四郎にとって、これ以上ないほど都合の良い話でした。小四郎は迷うことなく、相良屋を捨て、若狭屋の新しい主人として「若狭屋小四郎」となる道を選びます。そして、「これほどの身代と、おまけにこのような美しい女房まで与えてくださったお奉行様の御恩は、一生かかっても背負いきれません」と、深々と頭を下げて感謝の言葉を述べます。
するとお奉行様は、小四郎の言葉に鷹揚に頷き、「なに、もうお前は大きな店の主人となったのだ。だから、これから先は何も背負う必要はない」と、ユーモラスに返したのでした。かくして、小さな小間物屋の主人は、旅先での偶然と善行、そしてお奉行様の奇妙な裁きによって、「万両婿」と呼ばれる大店の主人となったのでした。
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