幼児虐殺 (ブリューゲル)

ピーテル・ブリューゲル『幼児虐殺』：詳細解説

ピーテル・ブリューゲル作の『幼児虐殺』（別名『嬰児虐殺』『ベツレヘムの嬰児虐殺』）は、1565年から1567年頃に描かれた油彩画です。現在、ロンドンのハンプトンコート王室コレクションに収蔵されており、その圧倒的な迫力と細密な描写で知られています。

絵画の描写

絵画は、凄惨な虐殺の場面を克明に描き出しています。前景では、兵士たちが家屋に侵入しようと躍起になっています。馬に乗った騎士の指揮の下、槍や丸太を用いて扉や窓を破壊し、家の中へと侵入しようとする様子がリアルに表現されています。赤い衣装の男性が馬に乗って現場を指揮している様子は、この虐殺の責任者を示唆していると考えられます。

一方、前景の左側では、羽根飾りのついた派手な帽子をかぶった伝令が馬に乗り、村人たちに囲まれています。村人たちは、必死の思いで伝令に何かを訴えかけているように見えます。伝令の鎧にはハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が描かれており、権力者の介入を示唆しています。しかし、伝令は村人の訴えを無視するかのように、首をすくめています。

中景では、兵士たちが槍で家畜（イノシシ、鶏、ガチョウなど）を殺している場面が描かれています。無抵抗な動物たちへの残虐行為は、人間の非道さをより強調しています。遠景では、甲冑を身につけた騎士たちが馬に乗って集結し、村人たちの脱出路を封鎖しようとしている様子がわかります。

聖書との関連とブリューゲルの表現技法

この絵画は、『マタイ伝』にあるヘロデ大王によるベツレヘムの幼児虐殺の物語を題材としています。ヘロデ大王は、新しい王の誕生を恐れて、ベツレヘムとその周辺に住む2歳以下の男児を皆殺しにするよう命じました。ブリューゲルは、この聖書物語を描きながらも、舞台を自身の故郷であるネーデルラントに置き換えています。これは、ブリューゲルの他の作品、『ベツレヘムの人口調査』などに見られる手法と共通しており、聖書物語を現実社会に重ね合わせることで、より強いメッセージ性を作品に与えていると考えられます。

さらに注目すべき点は、初期のスケッチでは、殺されているのが幼児であったのに対し、完成版では動物や家財道具などに置き換えられている点です。この変更は、より普遍的な暴力や抑圧を表現するために行われた可能性があります。具体的な描写を避けることで、見る者に想像力を働かせ、より強い衝撃を与える効果を生み出していると言えるでしょう。

作品の解釈

『幼児虐殺』は、単なる聖書物語の描写にとどまりません。宗教的寓意と社会的なメッセージが複雑に絡み合い、見る者に多様な解釈を促す作品です。宗教的迫害、権力者の横暴、そして人間の残虐性を描き出すことで、当時の社会情勢への鋭い批判が込められていると解釈できます。また、絵画の細密な描写や構図の複雑さは、ブリューゲルの優れた画才と、人間の深層心理に迫ろうとする強い意志を示しています。

参考文献

中野京子『怖い絵 泣く女篇』（角川文庫、2011年）
『ブリューゲルへの招待』（朝日新聞出版、2017年）

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