悪は存在せず

イランの死刑制度に鋭く切り込む、衝撃の群像劇『悪は存在せず』

2020年、ドイツ、イラン、チェコの合作により制作された映画『悪は存在せず』(原題: Sheytan vojud nadarad)は、モハマド・ラスロフ監督による重厚なドラマ作品です。第70回ベルリン国際映画祭という世界的な舞台で金熊賞を受賞するなど、高い評価を獲得しています。しかし、その内容はイランの死刑制度というセンシティブなテーマに正面から向き合っているため、イラン国内での上映は禁止されています。

本作は、イランの死刑制度に関わる4つの物語から構成されています。それぞれ独立したストーリーでありながら、死刑という行為に携わる人々の苦悩や葛藤、そしてその行為が彼らの人生や周囲の人々に及ぼす影響が、繊細かつ力強く描かれています。監督であるラスロフ自身もこの映画が「責任を負う人々」に関するものであり、各物語が「私自身の経験に基づいている」と語っており、作品に込められた強い思いが感じられます。

第1話「悪は存在せず」：穏やかな死刑執行人

最初の物語は、ヘシュマットという家族思いの中年男性に焦点を当てています。彼は日中は家族のために尽くし、温かい家庭を築いています。しかし、夜勤では死刑執行人として働いているのです。この対比によって、私たちの想像を超える複雑な人間の顔を浮き彫りにしています。日常の温かさとは対照的に、彼は死刑執行という非情な行為を淡々とこなす姿が描かれ、私たちに大きな衝撃を与えます。

第2話「あなたはできると彼女は言った」：逃亡劇と女性の策略

2つ目の物語は、プーヤという若者を中心に展開します。彼は恋人を海外に送るため、兵役につきますが、死刑執行の任務に就くことになります。人を殺したくないという彼の強い意志と、恋人の巧妙な計画が絡み合い、息詰まる逃亡劇が繰り広げられます。この物語は、死刑制度の残酷さだけでなく、人間の狡猾さと愛の力も同時に描き出しています。

第3話「誕生日」：愛と罪悪感の狭間で

3つ目の物語は、ジャワドという兵士の休暇を中心に描かれています。彼は恋人の誕生日を祝うため、休暇を取得しますが、その休暇中に彼が執行した死刑囚が、恋人の家族の大切な友人であったことが明らかになります。この衝撃的な事実が、彼と恋人の関係に深刻な影を落とします。愛と罪悪感の間で揺れるジャワドの姿は、人間の弱さと葛藤を深く表現しています。

第4話「私にキスを」：父と娘の悲しい真実

最後の物語は、バーラムという元医師の物語です。彼は娘と再会しますが、その再会は彼自身の過去と深く関わっています。過去に死刑執行人として働いていた彼は、ある決断をしたことで家族を失い、娘とも離れ離れになっていました。この物語は、彼の選択が家族にもたらした悲劇を描きつつ、同時に、彼がその選択に後悔していないという強い意志も表現しています。

圧倒的なリアリティと高い評価

これらの4つの物語は、それぞれ異なる視点から死刑制度の問題点を浮き彫りにしています。それぞれの登場人物の背景や葛藤が丁寧に描かれているため、観客は登場人物たちに感情移入し、彼らと共に苦悩や葛藤を共有することになります。

映画『悪は存在せず』は、Rotten Tomatoesで98%の高評価を得るなど、批評家からも高い評価を得ています。その評価は、この映画が単なるエンターテイメントではなく、人間の尊厳、正義、責任といった普遍的なテーマを問いかける、深く考えさせられる作品であることを示しています。イランでの上映禁止という事実も、この映画の持つ社会的な重要性を強調していると言えるでしょう。東京国際映画祭でも上映されたこの作品は、観る者の心に深く刻まれる、忘れがたい作品となるでしょう。

もう一度検索