慳

慳（けん）

仏教において「慳」（けん、梵: mātsarya、マートサリヤ）は、修行を妨げる心の働きである「煩悩」の一つに数えられます。これは、物事や財宝、あるいは教え（法）といった貴重なものを惜しみ、他者へ分け与えたり施したりすることを強く嫌う心のあり方を指します。

この「慳」の根底にあるのは、自分自身の利益だけをひたすらに求め続ける利己的な心です。具体的には、財産や物質的なものに深く執着し、それを手放すことを極端に恐れる状態を言います。このような心の状態にある人は、ただひたすらにお金を貯めること、物を集めることにとらわれてしまい、周りの人々のことや、その困窮について思いを馳せることがありません。自己中心的で、他者への慈悲や分かち合いの精神が欠如している状態と言えるでしょう。

仏教の教学体系において、「慳」は特定の階層に分類されています。

説一切有部（せついっさいうぶ）：この部派が説く、存在するあらゆる要素を七十五の法に分類する「五位七十五法」の体系において、「慳」は「小煩悩地法（しょうぼんのうじほう）」の一つとされています。これは、比較的小さな、あるいはより広範な状況で現れる煩悩群に含まれることを意味します。

唯識派（ゆいしきは）：『大乗百法明門論（だいじょうひゃくほうもんみょうろん）』などの唯識教学においては、「慳」は「随煩悩（ずいぼんのう）」、すなわち根本的な煩悩に付随して生じる二次的な煩悩に分類されます。さらに随煩悩の中でも、「小随煩悩（しょうずいぼんのう）」に位置づけられています。これは、比較的に個別的・局所的に現れる随煩悩のグループに含まれることを示します。

「慳」は単なる個人的な性向としてだけでなく、仏道修行における重要な障害としても捉えられています。例えば、大乗仏教の菩薩戒における重要な戒律の一つに「十重禁戒（じゅうじゅうきんかい）」がありますが、その第八番目の戒として「不慳法財戒（ふけんほうざいかい）」が挙げられています。これは、「法（仏教の教え）と財（財産や物質的なもの）との両方を惜しまないこと」という意味であり、修行者は惜しむ心、すなわち「慳」を克服し、積極的に法や財を他者に施す（布施）ことが求められます。

このように「慳」は、自己中心性からくる執着心と、他者への施しを拒む心を特徴とする煩悩であり、仏道における布施の実践を妨げる大きな要因として、古くから重要視されてきました。

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