手品師 (ボス)

『手品師』（蘭: De goochelaar, 仏: L'Escamoteur, 英: The Conjurer）は、初期フランドル派の巨匠ヒエロニムス・ボス（またはその工房、追随者）が1502年頃に制作したとされる油彩画です。現在、サン＝ジェルマン＝アン＝レー市立美術館に所蔵されており、オリジナルは失われているものの、いくつかの複製とエングレーヴィングが現存しています。その中でも、サン＝ジェルマン＝アン＝レー市立美術館のバージョンが最も信頼できるとされています。この作品は1978年に盗難に遭いながらも、翌年には無事返還されたという経緯を持ちます。

作品の特徴

当初はボスの初期作品と考えられていましたが、近年の研究では、画風の違いからボスの工房作か、あるいは追随者によるものという見方が強まっています。この作品では、手品師が観衆の目を欺き、その隙に掏摸が行われる様子が描かれています。手品師は、カップとボールのゲームで観衆を魅了していますが、その中心は手品に夢中になり、財布を盗まれていることに気づかない男性です。この構図は、人間の注意力散漫さと、欲望に目がくらむ様子を象徴的に表しています。

絵画の中には、様々な動物が人間の特性を象徴するモチーフとして登場します。手品師の籠の中にいるフクロウは、手品師の知性を表し、男性の口から飛び出しているカエルは、理性よりも衝動に屈している状態を表しています。また、手品師に夢中の子供と財布を盗む男は、「手品に騙される者は有り金を失い、子供の笑い物になる」というフランドルの諺を具体的に描いたものと考えられています。この作品は、1480年頃にボスの故郷で出版された「頑固な愚か者ほど愚かな人はいない」という諺とも関連付けられます。

この作品は、道徳的、宗教的な意味合いを持つ作品が多いボスの中では珍しく、世俗的な風俗画として描かれています。これは、当時のオランダや北ブラバント地方で、日常生活に根ざした主題が人気を集めたことを示しています。また、イタリアの神話画に対抗する、新しい芸術の潮流を象徴する作品とも言えます。

映画監督のアドリアン・マーベンは、この作品を「ヒキガエルが男の口から抜け出していると観客に説得しようとする手品師の風変わりな物語」と捉えています。その一方で、観客の背後では財布が盗まれており、このユーモラスな場面の中に、人間の愚かさや欺瞞に対する批判が込められていると指摘しています。

作品の来歴

『手品師』は、もともとミュンヘンの美術商や個人コレクションに所蔵されていましたが、その後、ルイ・アレクサンドル・デュカステルという人物が所有しました。デュカステルはサン＝ジェルマン＝アン＝レーの公証人であり、1835年と1839年に市長を務めた人物です。彼のコレクションは、美術収集家であった父親が形成したもので、1872年にデュカステルが亡くなった後、市立美術館に遺贈されました。

作品の影響

ボス以降にも、この作品の複製がいくつか制作されており、フィラデルフィア美術館やイスラエル博物館に所蔵されています。また、バルタザール・ファン・デン・ボスによるエングレーヴィングも存在します。

まとめ

『手品師』は、手品師の巧みな手口と、それに騙される人々の滑稽な姿を通して、人間の弱さや欲望、そして欺瞞を描いた作品です。ボスの作品の中でも特異な存在であり、当時の世俗的な風俗を捉えた、貴重な絵画として評価されています。

この作品は、単なる風刺画としてだけでなく、当時の社会の状況や人々の心理を映し出す鏡として、今日においても多くの人々を魅了し続けています。

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