日下部吉信

日下部吉信：古代ギリシア哲学と西洋形而上学の深淵を抉る哲学者

日下部吉信氏は、1946年生まれの日本の哲学者であり、古代ギリシア哲学研究の第一人者です。立命館大学名誉教授を務め、長年にわたる研究活動で西洋哲学史に独自の解釈を与え続けています。彼の思想は、マルティン・ハイデッガーの後期哲学と古代ギリシア哲学を深く融合させたものであり、西洋文明の根底にある問題点を鋭く突いています。

ハイデガーと古代ギリシア：西洋哲学への異様な視点

日下部氏は、渡邊二郎氏から「マルティン・ハイデッガーを情熱を込めて信奉する哲学者」と評されるほど、ハイデッガー哲学に傾倒しています。しかし、彼の研究は単なるハイデッガー解釈にとどまりません。ハイデッガーの後期哲学を基盤としながらも、古代ギリシア哲学、特にソクラテス以前の初期ギリシア哲学を深く考察することで、西洋哲学史を独自の視点から再構成を試みています。

日下部氏の哲学の中心概念は「主観性」です。彼は、西洋形而上学の本質を、「ソクラテス・プラトンの主観性の哲学とヘブライズムの神という巨大な主観性の合体」によって生まれた巨大なイデオロギー体系と捉えます。この主観性原理こそが、西洋世界を2000年以上支配し、中世から近代に至る世界観を規定してきたと主張します。

この主観性原理は、ハイデガーが「Seinsverlassenheit（存在に見捨てられた有様）」と呼んだ、存在から切り離された世界＝ゲステルを生み出しました。近代社会、特に後期近代社会においては、この個的主観性の昂進がニヒリズム、故郷喪失という荒廃をもたらしたと日下部氏は分析します。そして、現代世界におけるグローバリズムも、この主観性原理の世界的浸透の一形態に過ぎないと指摘し、世界的な崩壊現象の根源を「存在棄却」に見出します。

ギリシア哲学史観：ピュシスとイデアの抗争

日下部氏の西洋哲学理解の根底には、独自のギリシア哲学史観があります。彼は、ソクラテス以前の初期ギリシアにおいては、「存在」が「ピュシス（自然）」という姿で現れていたと主張します。この時代こそ、ハイデッガーが「存在の故郷（Heimat des Seins）」と呼んだ時代です。しかし、ピタゴラスによってオリエントから導入された主観性原理が、この存在に基づくギリシア文化に重なってきます。

初期ギリシアは主観性原理を否定しようとしましたが、完全に排除することはできませんでした。やがて、この主観性原理はソクラテス・プラトン哲学によって継承され、ギリシア哲学の中心に据えられることとなります。日下部氏はこの出来事を「戦慄すべき出来事」と表現し、主観性原理は一度浸透すると根絶不可能であると指摘します。ここに「ピュシスとイデアの戦い」「存在と主観性の抗争」という、西洋哲学史を貫く対立構造が出現したと彼は見ています。この対立は、西洋世界におけるあらゆる対立・抗争の背後にある根源的な力であり、主観性原理の登場こそ西洋の運命を決定づけた出来事だと考えます。

ソクラテス・プラトンを超えて

日下部氏は、ソクラテス・プラトン哲学をギリシア哲学の本体とは見なしていません。彼にとってギリシア哲学の真髄は、イオニア自然哲学の系譜にあり、ソクラテス・プラトン哲学はあくまでその途上に位置する「一エピソード」に過ぎません。この「一エピソード」が、新プラトン主義を経てヘブライズムの神（巨大な主観性）と結びつくことで、西洋2000年の形而上学となり、近代世界につながったと日下部氏は主張します。

この見解から、日下部氏は、西洋形而上学全体を相対化し、より広い視野から哲学を捉え直す必要性を訴えます。彼の研究は、西洋哲学の伝統的な解釈を覆し、新たな視座を提供するものです。

著作と活動

日下部氏は、『西洋古代哲学史』、『ギリシア哲学と主観性』など数多くの著書を発表し、古代ギリシア哲学研究の進展に大きく貢献しています。また、『シリーズ・ギリシア哲学講義』など、分かりやすい講義形式の著作も多く手がけ、一般への啓蒙にも力を入れています。さらに、古代ギリシア哲学研究会代表として、研究活動の拠点も築いています。彼の研究は、現代社会の問題を考える上で、重要な示唆を与えてくれるでしょう。

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