日輪の翼

『日輪の翼』：故郷喪失と聖地巡礼の旅

中上健次による長編小説『日輪の翼』（1984年刊行）は、再開発によって故郷の路地を失った若者たちが、信心深い老婆たちを連れ、改造された冷凍トレーラーで聖地巡礼の旅に出る物語です。和歌山県新宮を起点に、伊勢神宮をはじめとする各地の聖地を巡りながら、彼らは享楽的な日々を送りますが、旅の終着点である東京の皇居で老婆たちは忽然と姿を消します。

この小説は、単なる旅の物語ではありません。故郷の喪失、人間の根源的な存在、そして現代社会におけるアイデンティティの危機といった普遍的なテーマを、独特のユーモラスな筆致と、鮮烈な描写によって描き出しています。登場人物たちの奔放な行動や、性的な描写も織り込まれ、読者に強い印象を与えます。

物語の背景と登場人物

物語は、和歌山県新宮市の再開発によって、主人公たちの生活の場である路地が消滅することから始まります。主人公はツヨシと田中さんを中心とした若者たちで、彼らは信心深い七人の老婆たちを、改造した大型冷凍トレーラーに載せ、聖地巡礼の旅に出ます。旅の道中では、様々な出会いと出来事が待ち受けています。一宮で出会った売春婦タエコ、雄琴のトルコ嬢で四つの乳房を持つララなど、個性的な女性たちとの出会いを経て、彼らは享楽的な生活に浸っていきます。

旅の目的と結末

旅の目的は、一見すると老婆たちの信仰心による聖地巡礼のようですが、物語全体を通して、故郷を失った若者たちの心の揺れや、現代社会におけるアイデンティティの喪失といった、より深いテーマが描かれています。彼らは、旅を通して、自分自身と向き合い、新たな生き方を見出そうと試みます。しかし、最終的に東京の皇居に到着した時、老婆たちは姿を消し、彼らの旅は幕を閉じます。老婆たちの失踪は、物語全体に謎めいた雰囲気を与え、読者に様々な解釈を促します。

作品の歴史と影響

『日輪の翼』は、1984年に文芸誌「新潮」に掲載された後、単行本として刊行され、その後文庫版も出版されました。単行本の帯には「中上健次の愉快な新生面　遊牧と縄文の生命輝く人間の解放と解脱の時！」という惹句が記されており、作品の世界観をよく表しています。

本作は、中上健次自身の生い立ちや、故郷である和歌山県新宮市への強い思いが反映されていると言われています。彼の他の作品と同様に、地方と都市、伝統と現代といった対比が描かれ、独特のリアリズムと詩情が融合した世界観が魅力です。

また、本作は映画化、ドラマ化、舞台化など、様々なメディアで展開されています。1999年にはNHKでハイビジョンドラマとして放映され、2016年以降は、美術作家やなぎみわによる野外劇公演も全国各地で行われています。これらの展開は、本作が時代を超えて読み継がれ、現代社会においても重要なメッセージを伝え続けていることを示しています。

執筆時のエピソード

小説の執筆に際しては、中上健次が多忙なスケジュールの中、編集者との合宿形式で執筆が行われたという逸話があります。その合宿の一つは、八ヶ岳にある柄谷行人の別荘で行われたと言われています。このエピソードは、本作がいかに真剣に、そして情熱的に執筆されたかを示す興味深いものです。

続編『讃歌』

『日輪の翼』の続編として、『讃歌』（1990年）が書かれています。『讃歌』では、ツヨシと田中さんが東京・新宿でジゴロとなり、「イーブ」と「ター」という源氏名を使っている様子が描かれています。


『日輪の翼』は、故郷喪失、聖地巡礼、そして人間の根源的な問いといったテーマを、独特の文体と世界観で描き出した、中上健次を代表する作品の一つです。その魅力は、現代においても色褪せることなく、多くの読者を引きつけています。

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