昏沈

昏沈（こんじん）

仏教における心の状態

昏沈とは、仏教において説かれる心のあり方の一つで、サンスクリット語の「styāna（スティヤーナ）」に由来します。「惛沈」とも表記されます。これは、心が沈み込み、活力を失った状態や、体も心もだるく気力がない状態を指します。気分が晴れずに落ち込み、心の働きが鈍ってしまうような心理作用、あるいはそのような状態そのものを意味します。仏教においては、このような心の状態は、真理を見つめ、道を歩む上での妨げとなる「煩悩」の一つとして捉えられています。

煩悩としての分類

昏沈は、仏教の様々な教えの中で、煩悩として位置づけられ、分析されています。例えば、部派仏教の一つである説一切有部（せついっさいうぶ）では、全ての存在や現象を五つのカテゴリーと七十五の要素に分類する「五位七十五法（ごいしちじゅうごほう）」という体系を持ちます。この中で、昏沈は、心の働きを汚染し、悪に導く可能性のある「煩悩」に属する心の働き、すなわち「心所法（しんじょほう）」のうち、「大煩悩地法（だいぼんのうじほう）」と呼ばれる六つの根本的な煩悩に関連する随伴的な煩悩の一つとされます。

説一切有部では、五位のうち「心不相応行法（しんふそうおうぎょうほう）」以外の、心に伴って生じる法を「心所法」と呼びます。この心所法は、善なる心に伴う「大善地法（だいぜんじほう）」、煩悩に伴う「大煩悩地法」、善悪どちらにも属さない「大不善地法（だいふぜんじほう）」、「小煩悩地法（しょうぼんのうじほう）」などに分けられます。昏沈は、この中で心の汚染度合いが大きく、根本的な煩悩と密接に関連すると考えられる「大煩悩地法」の一つに数えられます。

また、説一切有部では、心が安らかで軽やかな状態、すなわち心身が調和し、自由に活動できる状態を「軽安（きょうあん）」と呼び、これを「大善地法」の一つとしています。昏沈は、この軽安とは対極にある状態、つまり心が重く沈み、身心がものうく不自由な状態であると考えられています。

一方、大乗仏教の重要な学派である唯識派（ゆいしきは）でも、心の働きを細かく分析する体系を持ちます。唯識派の「五位百法（ごいひゃっぽう）」という分類体系では、心の働きである「心所法」を五つに分類します。その中には、根本的な煩悩である「煩悩心所（ぼんのうしんじょ）」と、それに随伴して生じる様々な煩悩である「随煩悩心所（ずいぼんのうしんじょ）」があります。

随煩悩心所はさらに、どの根本煩悩にも広く随伴する「大随煩悩（だいずいぼんのう）」、特定の根本煩悩に随伴しやすい「中随煩悩（ちゅうずいぼんのう）」、不善な心全てに随伴する「小随煩悩（しょうずいぼんのう）」に分けられます。唯識派において、昏沈は、心の働きを鈍らせ、あらゆる煩悩と結びつきやすい性質を持つ「大随煩悩」の一つとして位置づけられています。大随煩悩は全部で八つあり、昏沈はその中に含まれます。

昏沈の影響と克服

このように、昏沈は心の沈鬱やものうさとして現れ、心の働きを鈍らせる煩悩として、様々な仏教の教えの中で重要視されています。これは単なる一時的な気分の落ち込みではなく、心が真理から遠ざかり、迷いの中に留まってしまう原因となり得ると考えられています。集中力を欠き、物事を正しく理解する妨げとなり、特に禅定（ぜんじょう）のような精神統一を目指す修行においては、大きな障害となります。仏道修行においては、このような昏沈の状態に気づき、それを克服することが、心を清らかにし、智慧を開いていくために不可欠であるとされています。心身の活力を取り戻し、心が軽やかで明晰な状態、すなわち「軽安」へと向かうことが、修行の重要な目標の一つとなります。

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