松本稔 (野球)
群馬県伊勢崎市に生まれた松本稔氏（1960年8月18日生）は、選手として、指導者として、そして解説者として、日本の高校野球界に深く関わってきた人物です。
前橋高校時代、松本氏は2年生エースとして、1977年秋季関東大会でチームを決勝に導きました。印旛高校との決勝では菊池総投手と投げ合いましたが、惜しくも完封負けを喫し、準優勝にとどまりました。しかし、この活躍が評価され、翌1978年の第50回選抜高等学校野球大会への出場を決めます。
迎えた選抜大会の1回戦。前年の秋季大会でベスト8の実力を持つ比叡山高校との対戦は、下馬評では比叡山有利と見られていました。ところが、この試合で松本氏は高校野球の全国大会史上初となる偉業を達成します。キレのあるスライダーと抜群の制球力を武器に、相手打線を全く寄せ付けず、一人も走者を許しませんでした。投球数はわずか78球、奪三振は5つ、外野への打球に至っては3本のみという、文字通り完璧な内容で完全試合を成し遂げたのです。
この歴史的瞬間、27人目の打者を迎えた際の松本氏について、実況アナウンサーは「あまりにも淡々としております」と表現しました。そして、初球のピッチャーゴロを冷静に処理して大記録を達成した後も、喜びを爆発させる一塁手を横目に、松本氏はわずかに笑顔を浮かべただけで、すぐに整列へと向かいました。勝利後のインタビューでは、「相手に申し訳ないことをしてしまいました」と語り、「史上初のパーフェクトだよ」と水を向けられても、「ああ、そうですか…」と落ち着いた様子で答えたのです。その知的なコメントとクールな立ち振る舞いは、世間の大きな関心を集めました。後年、松本氏は「完全試合は既に誰かが達成しているものと思っていた。もし史上初だと知っていたら、かえってプレッシャーで駄目だったかもしれない」と振り返っています。
しかし、続く2回戦では苦難を味わいます。福井商業高校との対戦で、松本氏は再び9イニングを四死球ゼロという素晴らしい制球力を見せますが、打たれた安打は17本、失点は14に及びました。この試合では、2回に初の安打を許して以来、1回戦で完全試合を支えた守備が乱れ、それが失点に繋がる不運もありました（自責点は4）。野手は6つの失策を記録し、打線も3安打無得点に抑えられ、前橋高校は敗退しました。
それでも、センバツでの完全試合は極めて稀な記録です。1994年の第66回大会で金沢高校の中野真博氏が達成したのみで、夏の全国高等学校野球選手権大会では2023年現在も達成されていません。
1978年の群馬県の高校野球界は、前橋高校と桐生高校が共にセンバツに出場し、松本氏の完全試合や桐生高校のベスト4進出、さらには春季関東大会決勝での両校の対戦（桐生が勝利）など、「黄金期」と称されるほどの盛り上がりを見せました。対照的に、同年夏に滋賀県の膳所高校が桐生高校に大敗するなど、当時の滋賀県勢は「暗黒の時代」とも言われました。その後も、比叡山高校が後の大会で群馬県代表に惜敗するなど、群馬県勢との相性の悪さが続くことになります。
同年夏、前橋高校は全国選手権大会出場を目指しましたが、県予選準々決勝で太田工業高校を完封した際に肘を痛めた影響もあり、準決勝で前橋工業高校に敗れ、春夏連続の甲子園出場は叶いませんでした。この試合では、松本氏自身が本塁打を放つ場面もありました。
高校卒業後、松本氏は一般入試で筑波大学体育専門学群に進学しました。野球部では外野手に転向し、一番打者としてチームを牽引。首都大学野球リーグでは、チームが一部リーグに復帰した後、優勝は果たせませんでしたが、上位に進出する原動力となりました。東海大学の高野光投手から本塁打を放ち、高野投手にリーグ戦唯一の黒星をつける活躍も見せ、3年生の春にはベストナインに選ばれています。4年生時には選手間投票で主将も務めました。大学の最後には再び投手も経験しましたが、プロレベルでは通用しないと判断し、大学卒業を機に選手としてのキャリアを終えました。しかし、内野手としてプロに挑戦しなかったことを後悔しているとも語っています。
当初の目標であった高校教師になるため採用試験の願書まで出しましたが、「このまま教師になって良いのか」という疑問から直前に受験を取りやめ、筑波大学大学院体育研究科へ進学しました。大学院時代は、意図的に野球から距離を置き、クラブチームでラグビーに打ち込みました。この2年間は野球にはなかった充実感を味わえ、「とても貴重な時間だった」と振り返っています。
大学院修士課程修了後、松本氏は群馬県の公立高校教員として採用され、1985年に県立中央高校に赴任します。赴任1年目には亀井猛斗選手を擁して夏の県大会で準優勝。亀井選手は後にプロ入りを果たしました。さらに赴任2年後には夏の群馬県大会を制し、第69回全国高等学校野球選手権大会に出場。しかし、1回戦で立浪和義氏らを擁する強豪PL学園高校に敗れました。
1992年には母校の前橋高校に赴任し、秋から硬式野球部監督として指導に当たります。1997年夏の県大会では決勝に進出しましたが、前橋工業高校に敗れ、甲子園出場はなりませんでした。その後、2001年秋に関東大会で準決勝まで進み、翌2002年の第74回選抜高等学校野球大会に24年ぶりに出場。監督として迎える甲子園でしたが、高校時代の完全試合達成から24年ぶりの「甲子園のマウンド登板」が期待された開会前の甲子園練習での打撃投手は、「スタンドプレーと思われたくない」という本人の意向で実現しませんでした。試合は1回戦で九州学院高校に惜しくも敗退しました。前橋高校からは、小暮直哉氏や小野寺和也氏など、多くの教え子を東京六大学などの名門大学に送り出しました。また、横尾弘一氏の著書『四番、ピッチャー、背番号1』で、その野球人生が紹介されています。2004年にはAAA世界野球選手権大会の日本代表コーチを務め、準優勝に貢献しました。
2008年4月からは、かつて甲子園出場を果たした中央高校の後身である中央中等教育学校に赴任。この頃から、甲子園大会の民放ラジオ中継で野球解説者としても活躍しています。2010年には、全日本野球会議主催の指導者講習会で、学生野球指導者の代表としてパネリストを務めました。
2021年3月末をもって定年退職。部員不足により2020年秋の県大会を辞退したため、監督としての公式戦最後の指揮は、2020年7月26日の代替大会、ライバル校として知られる高崎高校との試合でした。この試合は惜しくも敗れています。
2022年4月1日からは再任用教員として桐生高校に赴任し、責任教師としてベンチ入り。同年夏の全国高校野球選手権群馬大会では監督を務めましたが、初戦で高崎経済大付に延長戦の末敗れました。
選手、指導者、そして解説者として、高校野球を中心にその情熱を傾け続けた松本稔氏の歩みは、多くの人々に影響を与えています。
前橋高校時代、松本氏は2年生エースとして、1977年秋季関東大会でチームを決勝に導きました。印旛高校との決勝では菊池総投手と投げ合いましたが、惜しくも完封負けを喫し、準優勝にとどまりました。しかし、この活躍が評価され、翌1978年の第50回選抜高等学校野球大会への出場を決めます。
迎えた選抜大会の1回戦。前年の秋季大会でベスト8の実力を持つ比叡山高校との対戦は、下馬評では比叡山有利と見られていました。ところが、この試合で松本氏は高校野球の全国大会史上初となる偉業を達成します。キレのあるスライダーと抜群の制球力を武器に、相手打線を全く寄せ付けず、一人も走者を許しませんでした。投球数はわずか78球、奪三振は5つ、外野への打球に至っては3本のみという、文字通り完璧な内容で完全試合を成し遂げたのです。
この歴史的瞬間、27人目の打者を迎えた際の松本氏について、実況アナウンサーは「あまりにも淡々としております」と表現しました。そして、初球のピッチャーゴロを冷静に処理して大記録を達成した後も、喜びを爆発させる一塁手を横目に、松本氏はわずかに笑顔を浮かべただけで、すぐに整列へと向かいました。勝利後のインタビューでは、「相手に申し訳ないことをしてしまいました」と語り、「史上初のパーフェクトだよ」と水を向けられても、「ああ、そうですか…」と落ち着いた様子で答えたのです。その知的なコメントとクールな立ち振る舞いは、世間の大きな関心を集めました。後年、松本氏は「完全試合は既に誰かが達成しているものと思っていた。もし史上初だと知っていたら、かえってプレッシャーで駄目だったかもしれない」と振り返っています。
しかし、続く2回戦では苦難を味わいます。福井商業高校との対戦で、松本氏は再び9イニングを四死球ゼロという素晴らしい制球力を見せますが、打たれた安打は17本、失点は14に及びました。この試合では、2回に初の安打を許して以来、1回戦で完全試合を支えた守備が乱れ、それが失点に繋がる不運もありました（自責点は4）。野手は6つの失策を記録し、打線も3安打無得点に抑えられ、前橋高校は敗退しました。
それでも、センバツでの完全試合は極めて稀な記録です。1994年の第66回大会で金沢高校の中野真博氏が達成したのみで、夏の全国高等学校野球選手権大会では2023年現在も達成されていません。
1978年の群馬県の高校野球界は、前橋高校と桐生高校が共にセンバツに出場し、松本氏の完全試合や桐生高校のベスト4進出、さらには春季関東大会決勝での両校の対戦（桐生が勝利）など、「黄金期」と称されるほどの盛り上がりを見せました。対照的に、同年夏に滋賀県の膳所高校が桐生高校に大敗するなど、当時の滋賀県勢は「暗黒の時代」とも言われました。その後も、比叡山高校が後の大会で群馬県代表に惜敗するなど、群馬県勢との相性の悪さが続くことになります。
同年夏、前橋高校は全国選手権大会出場を目指しましたが、県予選準々決勝で太田工業高校を完封した際に肘を痛めた影響もあり、準決勝で前橋工業高校に敗れ、春夏連続の甲子園出場は叶いませんでした。この試合では、松本氏自身が本塁打を放つ場面もありました。
高校卒業後、松本氏は一般入試で筑波大学体育専門学群に進学しました。野球部では外野手に転向し、一番打者としてチームを牽引。首都大学野球リーグでは、チームが一部リーグに復帰した後、優勝は果たせませんでしたが、上位に進出する原動力となりました。東海大学の高野光投手から本塁打を放ち、高野投手にリーグ戦唯一の黒星をつける活躍も見せ、3年生の春にはベストナインに選ばれています。4年生時には選手間投票で主将も務めました。大学の最後には再び投手も経験しましたが、プロレベルでは通用しないと判断し、大学卒業を機に選手としてのキャリアを終えました。しかし、内野手としてプロに挑戦しなかったことを後悔しているとも語っています。
当初の目標であった高校教師になるため採用試験の願書まで出しましたが、「このまま教師になって良いのか」という疑問から直前に受験を取りやめ、筑波大学大学院体育研究科へ進学しました。大学院時代は、意図的に野球から距離を置き、クラブチームでラグビーに打ち込みました。この2年間は野球にはなかった充実感を味わえ、「とても貴重な時間だった」と振り返っています。
大学院修士課程修了後、松本氏は群馬県の公立高校教員として採用され、1985年に県立中央高校に赴任します。赴任1年目には亀井猛斗選手を擁して夏の県大会で準優勝。亀井選手は後にプロ入りを果たしました。さらに赴任2年後には夏の群馬県大会を制し、第69回全国高等学校野球選手権大会に出場。しかし、1回戦で立浪和義氏らを擁する強豪PL学園高校に敗れました。
1992年には母校の前橋高校に赴任し、秋から硬式野球部監督として指導に当たります。1997年夏の県大会では決勝に進出しましたが、前橋工業高校に敗れ、甲子園出場はなりませんでした。その後、2001年秋に関東大会で準決勝まで進み、翌2002年の第74回選抜高等学校野球大会に24年ぶりに出場。監督として迎える甲子園でしたが、高校時代の完全試合達成から24年ぶりの「甲子園のマウンド登板」が期待された開会前の甲子園練習での打撃投手は、「スタンドプレーと思われたくない」という本人の意向で実現しませんでした。試合は1回戦で九州学院高校に惜しくも敗退しました。前橋高校からは、小暮直哉氏や小野寺和也氏など、多くの教え子を東京六大学などの名門大学に送り出しました。また、横尾弘一氏の著書『四番、ピッチャー、背番号1』で、その野球人生が紹介されています。2004年にはAAA世界野球選手権大会の日本代表コーチを務め、準優勝に貢献しました。
2008年4月からは、かつて甲子園出場を果たした中央高校の後身である中央中等教育学校に赴任。この頃から、甲子園大会の民放ラジオ中継で野球解説者としても活躍しています。2010年には、全日本野球会議主催の指導者講習会で、学生野球指導者の代表としてパネリストを務めました。
2021年3月末をもって定年退職。部員不足により2020年秋の県大会を辞退したため、監督としての公式戦最後の指揮は、2020年7月26日の代替大会、ライバル校として知られる高崎高校との試合でした。この試合は惜しくも敗れています。
2022年4月1日からは再任用教員として桐生高校に赴任し、責任教師としてベンチ入り。同年夏の全国高校野球選手権群馬大会では監督を務めましたが、初戦で高崎経済大付に延長戦の末敗れました。
選手、指導者、そして解説者として、高校野球を中心にその情熱を傾け続けた松本稔氏の歩みは、多くの人々に影響を与えています。
もう一度検索
【記事の利用について】
タイトルと記事文章は、記事のあるページにリンクを張っていただければ、無料で利用できます。
※画像は、利用できませんのでご注意ください。
【リンクついて】
リンクフリーです。