煙草と悪魔

芥川龍之介『煙草と悪魔』：悪魔と牛商人の奇妙な契約と、煙草の日本全国への普及

1916年（大正5年）、芥川龍之介によって発表された短編小説『煙草と悪魔』は、独特の世界観と皮肉に満ちた作品として知られています。キリスト教伝来とともに日本にやってきた悪魔が、煙草を日本に広めるという珍妙な物語が展開します。この作品は、芥川龍之介の代表作の一つであり、「切支丹物」と呼ばれるジャンルの作品に分類されます。

物語は、1549年（天文18年）、フランシスコ・ザビエルの日本への渡来から始まります。ザビエルと共に、イルマン（宣教師）の姿をした悪魔も密かに日本に潜入します。マルコ・ポーロの記述とは異なる日本の風景に戸惑いつつも、悪魔は日本人を誘惑しようと画策します。しかし、当時の日本にはまだキリスト教徒が少なく、悪魔は誘惑の機会に恵まれません。

仕方なく、悪魔は畑を借りて園芸を始めることにします。ザビエルは、西洋の薬用植物を栽培していると勘違いし、悪魔の行動を好意的に捉えます。春の穏やかな風景の中で、悪魔は畑仕事に精を出し、何かの種を蒔きます。やがて芽吹いた植物は、夏の終わりに漏斗のような紫色の花を咲かせますが、その正体は誰にもわかりません。

ある日、ザビエルが不在の間に、一人の牛商人が悪魔の畑を訪れます。その不思議な植物の名を知りたいと願う牛商人に、悪魔は取引を持ちかけます。3日以内に植物の名を言い当てれば畑を譲り渡す、そうでなければ体と魂を差し出すという危険な賭けです。

牛商人は、胸に十字架を下げたキリスト教徒でした。悪魔の正体を知った彼は、後悔の念に駆られます。ザビエルは不在で、助けを求めることもできません。絶望の淵に立たされた牛商人は、ある決断をします。悪魔が眠っている間に、自分の牛を畑に放ち、荒らしてしまうのです。

眠りを妨げられ、畑を荒らされた悪魔は激怒し、「こんちくしょう、どうして俺のたばこ畑を荒らすのだ！」と叫びます。その言葉は、牛商人にとって神の声のように聞こえます。植物の名前が「煙草」だと悟った牛商人は、悪魔との契約に勝利します。

一見、牛商人の勝利に終わったように見えますが、芥川龍之介は物語の最後に、煙草が日本全土に広まったことを指摘し、真の勝者は悪魔だったのではないかと問いかけます。この皮肉な結末は、西洋文化の日本への浸透、そしてその裏に潜む悪魔的な魅力を暗示していると言えるでしょう。

この作品は、単なる怪奇譚ではなく、歴史的背景と人間の業を巧みに織り交ぜた、奥深い寓意を持つ作品です。悪魔の狡猾さと牛商人の機転、そして煙草という媒介物を介して展開する物語は、読者に様々な解釈の余地を与え、今もなお多くの人々を魅了し続けています。 『煙草と悪魔』は、近代日本の複雑な文化状況を象徴する、芥川龍之介の代表的な短編小説の一つとして、高く評価されています。

もう一度検索