片腕 (小説)

『片腕』は、川端康成が1963年から1964年にかけて雑誌『新潮』に連載し、1965年に単行本として刊行した短編小説です。物語は、ある男が若い娘から右腕を一晩借り受け、自身の住むアパートで共に過ごすという、幻想的でシュールな設定で展開します。この作品は、官能的な願望と夢想が入り混じる独特の世界観で、後期の川端文学を代表する作品の一つとして知られています。

あらすじ

物語の主人公である「私」は、ある夜、若い娘から「片腕を一晩お貸ししてもいいわ」と告げられ、右腕を肩からはずして渡されます。娘の肩や腕の美しさに惹かれていた「私」は、その申し出を受け入れ、雨模様の夜、娘の腕を外套の中に抱えてアパートへと帰ります。

アパートに着いた「私」は、娘の腕をベッドの上に置き、語りかけたり戯れたりしながら、過去に関係を持った女性たちのことを思い出します。そして、娘の腕を自身の胸に添い寝させると、腕の脈と自分の心臓の鼓動が一致し、やがて腕は安らかに眠りにつきます。

夜中に目を覚ました「私」は、娘の腕を眺めながら「これはもうもらっておこう」と無意識に呟き、自分の右腕を外して娘の腕と付け替えます。しかし、娘の腕は自分の感覚として感じられず、拒絶反応を示します。娘の腕に血が通っているのかと尋ねると、娘は「“女よ、誰をさがしているのか”というの、ごぞんじ？」という聖書の言葉を口にします。そして、娘は自分の過去の憧憬や悲しみを消しに来たと告げます。

やがて、娘の腕の感覚が自分の知覚として馴染み始めますが、「私」は自分の血が娘の腕に入り込むことを懸念します。そんな心配をよそに、「私」は深い眠りに落ちてしまいます。しかし、突然、横腹に触れた不気味なものに驚き飛び起きると、ベッドには自分の右腕が落ちていました。恐怖に駆られた「私」は、娘の腕を自分の肩から引き剥がし、再び自分の右腕を付け替えます。

動悸が鎮まると、「私」は深い悲しみに襲われ、投げ捨てられた娘の腕を抱きしめ、その指先を唇に触れます。娘の腕から「女の露が出るなら……」と願うところで物語は終わります。

登場人物

私：中年あるいは初老と思われる孤独な男。過去に複数の女性と関係を持っている。
娘：純潔で優雅な雰囲気を持つ若い娘。自分の右腕を「私」に一晩貸す。
* 車の女：「私」がアパートへ帰る途中で見かける、朱色の服を着た若い女性。

作品背景

川端康成は、常用していた睡眠薬の影響で入院した経験があり、その影響から「前衛的ともみられる筆法」が導入され、『片腕』にも魔界的な要素が色濃く反映されていると指摘されています。

作中に登場する片腕が右腕であることについては、川端自身が右目に疾患を抱え、右半身に不調を抱えていたことが関連しているという見方もあります。また、川端作品には「手」がしばしば登場し、浄化や救済の祈りのイメージとして描かれているとされています。

作品評価

発表当初、『片腕』は珍奇な作品としてあまり評価されませんでしたが、後に三島由紀夫や進藤純孝らによって本格的な評論が展開され、作品の象徴性や深層心理的な解釈が活発に行われるようになりました。三島由紀夫は、この作品を「作者の精神ののっぴきならない軌跡」であり、単なる寓話ではなく、川端の「オブセッション」（妄念）が表れていると指摘しました。

筒井康隆は、この作品が「シュール・レアリズムを日本の感性で書いている」と評し、河村政敏は、作品に見られる幻想的な描写について、前衛絵画的な手法の影響を指摘しています。

原善は、主人公のフェティシズムにおける孤独の視点に着目し、娘の腕を「変光器」として自身の理想的な女性像を観念的に作り上げていると論じました。大久保喬樹は、『片腕』を『眠れる美女』と類似する作品と捉え、男性的なフェティシズムの意識が生きた片腕という異性の現実に具体化された作品として考察しています。

派生作品

『片腕』は、中上健次、小川洋子、石田衣良、小池昌代、彩瀬まる、乗代雄介、李昂らによってオマージュ作品が書かれています。また、2010年にはNHK BS-hiでテレビドラマ化されました。

まとめ

『片腕』は、川端康成の幻想的な世界観が色濃く表れた作品であり、人間の孤独、欲望、そして存在の根源的な問いを、象徴的なイメージと独特の文体で表現しています。発表当初は評価が分かれましたが、後の評論や研究によってその文学的な価値が再評価され、今日では川端文学を代表する作品の一つとして広く認知されています。

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