産めよ殖やせよ

概要

『産めよ殖やせよ』（うめよふやせよ）は、かつて戦前の日本において、政府が国家の国力増強と将来的な戦争遂行体制の確立を目指し、国民に対して出産と人口増加を強く奨励したスローガンです。この言葉は、当時の厚生省予防局優生課によって提唱され、単なる標語に留まらず、国家主導の一連の人口政策や国民運動を象徴する表現として広く知られました。

語源と政策の背景

このスローガンの直接的な語源は、1939年（昭和14年）9月30日に厚生省予防局優生課の民族衛生研究会が発表した『結婚十訓』の第十条にあります。この十訓は、当時のナチス・ドイツの人口・婚姻政策を参考に作成されたもので、その第十条には「生めよ育てよ国の為」と記されていました。この文言が転じて、『殖やせよ』（あるいは『増やせよ』）という形で国民の間に浸透し、「産めよ殖やせよ」という標語が一般的になったと言われています。

この人口増加政策が推進された背景には、当時の緊迫した国際情勢があります。日中戦争が長期化し、また満州などへの国策による開拓移民が進められる中で、政府は国内の人口増加率の鈍化、ひいては将来の人的資源の不足に強い危機感を抱きました。国家の防衛と発展、そして将来的な総力戦に備えるためには、強靭な国民からなる潤沢な人的資源が不可欠であるという認識が政府内で高まっていたのです。

国策としての人口政策確立要綱

こうした危機感と国家目標に基づき、日本政府は国家を挙げて人口増加に取り組むことを決定しました。その集大成とも言えるのが、1941年（昭和16年）1月に近衛文麿内閣によって閣議決定された『人口政策確立要綱』です。この要綱は、当時の日本帝国が目指す軍国主義国家体制を人的側面から支えるための非常に重要な政策文書でした。

『人口政策確立要綱』では、具体的な数値目標として、1950年（昭和25年）までに日本の内地総人口を1億人に到達させるという目標が掲げられました。この壮大な目標を達成するため、政府は国民に対して、より早期に結婚し、多くの子供を持つことを強く推奨しました。具体的には、初婚年齢の引き下げを目指し、男性は25歳、女性は21歳での結婚が理想とされました。また、理想的な家族構成として、一家庭あたり子供を5人持つことが奨励されました。

政府はこれらの目標を実現するために、様々な手段の導入を検討しました。国民の意識を高めるためのプロパガンダとして、『産児報国』や『結婚報国』といったスローガンも掲げられ、子供を産み育てることが国家に対する忠誠であり、奉公であるという価値観が強調されました。さらに、より直接的な施策として、結婚を奨励するための婚資貸付制度や、未婚者に対して課税する独身税なども具体的に検討され、国家が個人の結婚や家族形成に積極的に介入しようとする姿勢が示されました。

時代背景と関連する動き

『産めよ殖やせよ』というスローガンや関連する人口政策は、当時の日本の全体主義的な思想や軍国主義と深く結びついていました。個人の自由な選択よりも、国家全体の目標達成が優先されるという価値観が社会全体に浸透していた時代背景があります。また、同時期には、国民の資質向上を目指すという名目のもと、優生思想に基づいた『国民優生法』も制定されており、人口の『量』だけでなく『質』をも国家が管理しようとする動きが見られました。

世界に目を向けると、この時代の全体主義国家や権威主義国家の中には、日本と同様に国家主導で人口増加を図る政策が見られます。例えば、ナチス・ドイツにおける、いわゆるアーリア人の増加を目的とした『レーベンスボルン』計画や、ソビエト連邦で多産である女性に栄誉称号や経済的優遇を与える『母親英雄』制度などは、自国の国力増強のために国民の出産・育児に積極的に介入した類似の事例と言えます。

『産めよ殖やせよ』のスローガンの下で推進された政策は、実際に当時の出生率に影響を与え、この時期に生まれた世代は、その後の戦災や混乱を経験したことから『焼け跡世代』と呼ばれることもあります。このスローガンは、単なる過去の標語ではなく、戦前の日本の国家目標、社会思想、そして国民生活の一端を示す重要な言葉です。

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