相州梅沢左

葛飾北斎晩年の代表作として知られる『冨嶽三十六景』。その全46図の中に、「相州梅沢左」という作品があります。神奈川県中郡二宮町梅沢地区付近を指すとされていますが、絵画の内容は、地名と直接結びつくものとは言い難い、不思議な作品です。

作品には、山深い土地に五羽の鶴が水辺に佇み、二羽が飛び立つ様子が描かれています。背景には富士山がそびえ立ちますが、梅沢地区の具体的な風景を示す描写は見当たりません。むしろ、富士山と鶴といった縁起の良いモチーフが強調されており、吉祥画としての趣が濃厚です。

「相州梅沢左」というタイトルの「左」の意味についても、諸説があり明確な答えは得られていません。「相州梅沢庄」や「相州梅沢在」といった表記の誤りではないかという説が有力視されています。梅沢地区は東海道五十三次の大磯宿と小田原宿の中間にある立場であり、人通りの多い場所でした。しかし、絵画は人里離れた静寂な雰囲気を漂わせています。

北斎は、鶴を好んで描いたことが知られており、本作品以外にも多くの作品に鶴が登場します。『北斎漫画』には「尾張桜田の鶴」が描かれ、狂歌摺物『元禄歌仙貝合あし貝』の挿絵や肉筆浮世絵『松に鶴』、大岡雲峰との合作『双鶴図』など、様々な作品で北斎の鶴へのこだわりが見て取れます。丹頂鶴と思われる鶴は、その気品ある姿で絵画に独特の雰囲気を与えています。

「相州梅沢左」は、単なる風景画ではなく、北斎の美的感覚と、吉祥画としての要素を融合させた作品と言えるでしょう。地名との関連性や「左」の意味など、未解明な部分も多い作品ですが、その神秘的な魅力が、人々の関心を引きつけてやまない理由でしょう。富士山と鶴、そして静寂な山里の描写は、見る者に様々な想像力を掻き立て、北斎の深遠な世界観を垣間見せてくれます。作品全体からは、現実の風景描写よりも、北斎自身の内面や、当時の社会風潮、あるいは芸術的な表現方法に対する探求といった、より抽象的な要素が強く感じられます。

この作品を理解するためには、北斎の生涯や作品全体を俯瞰する視点が重要です。彼の画業における様々な試行錯誤や、美的感覚の変化、そして社会情勢への関心の高まりといった要素が、「相州梅沢左」という作品に複雑に絡み合っていると考えられます。単なる風景画としてではなく、北斎の多面的な側面を映し出す鏡として、「相州梅沢左」を鑑賞することが、この作品をより深く理解することに繋がるでしょう。さらに、他の北斎作品と比較検討することで、その特徴や意図をより明確に捉えることができるでしょう。例えば、『冨嶽三十六景』シリーズ全体の構成やテーマ、北斎の他の鶴の絵との比較などを通して、より深い考察が期待できます。

このように「相州梅沢左」は、一見すると単純な風景画のように見えますが、その奥には北斎の多様な表現方法と世界観が隠されています。その謎解きを楽しむことで、北斎芸術の奥深さを改めて知ることができるでしょう。

もう一度検索