絲鞋

絲鞋（しがい、いとのくつ、しあい）とは、日本の伝統的な装束の一部として用いられる特殊な履物です。

用途と特徴

この靴は、主に未成年の皇族、舞楽を演じる童舞（わらわまい）、そして神道の儀式に奉仕する幼い巫女などが着用しました。名前の通り、主要な素材に「絲」、すなわち絹糸が用いられています。見た目にも美しく、また着用者の動きを妨げない軽快さが求められる場面で用いられてきました。

素材と構造

絲鞋の本体は、白い絹糸を使い、表面に菱形の模様が浮かび上がるように丁寧に編み上げられています。中敷には筵（むしろ）が用いられ、足裏の感触や通気性を考慮した作りとなっています。靴底は耐久性のある牛革製で、床面や地面との摩擦に耐えるようになっています。

特徴的なのは足首の固定方法です。足首にあたる部分には組紐のような糸が通されており、これを両側から引き出して足首に二重に巻きつけ、装束用語で「諸鉤（もろかぎ）」と呼ばれる蝶結びに結んで固定します。この構造は、現代の運動靴であるズック靴や、北米先住民が用いる伝統的なモカシンにも通じる、足にフィットしやすく動きやすい形状と言えます。

歴史とルーツ

絲鞋の起源は、意外にも高貴な身分ではなく、六位以下の下級武官たちが履いていた「麻鞋（まかい）」に遡るとされています。麻鞋は、苧麻（ちょま）という植物の繊維で作られたもので、軽快で動きやすさに優れていました。戦場や日常の活動において、機動性が求められる下級武官にとって適した履物だったのです。

発展と高級化

この麻鞋が持つ軽快さ、活動性の高さという特徴が、平安時代以降、貴族の子弟たちが着用する履物として注目されるようになります。ちょうど、童水干（わらわすいかん）のように、元は実用的な武官の装束であったものが、子供向けの可愛らしく、かつ格式のある装束へと変化していった経緯と同様に、麻鞋も貴族の子弟用として採用される過程で高級化が進みました。

素材は苧麻から、より肌触りが良く、見た目にも美しい絹糸へと変わり、現在の絲鞋が誕生したのです。このように、絲鞋は単なる実用的な履物から、儀式や芸能において特別な意味を持つ装束へとその性質を変化させていきました。

なお、麻鞋からは、同じく下級武官などが用いる、より簡便な藁（わら）製の靴である「草鞋（わらうず）」も派生したと伝えられています。

現代での継承

現代においても、絲鞋は一部の伝統行事で受け継がれ、実際に使用されています。例えば、奈良県にある春日大社の御祭（おんまつり）における舞楽では、儀式に参加する楽人たちが芝生の上で舞を奉納する際に、この絲鞋を着用します。また、東京都中央区で行われる銀座金春祭（こんばるまつり）においても、路上での能の演目が披露される際に、役者によって用いられることがあります。

絲鞋は、その繊細な素材と構造、そして歴史的な変遷を通じて、日本の装束文化、特に儀式や芸能における履物の役割と位置づけを示す貴重な存在と言えるでしょう。軽快さと格式、そして実用と美しさを兼ね備えた、まさに「糸の靴」なのです。

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