聖アントニウスの誘惑 (ボス、プラド美術館)

聖アントニウスの誘惑

ヒエロニムス・ボスによる「聖アントニウスの誘惑」は、16世紀初頭に制作された油彩の絵画です。この作品は、聖アントニウスが悪魔の誘惑に苦しめられる様子を描いており、ボスの独特な世界観が色濃く反映されています。現在はマドリードのプラド美術館に所蔵されており、アムステルダム国立美術館などにも複数のヴァリアントが存在します。

主題

聖アントニウスは、3世紀から4世紀にかけて生きた聖人で、修道院制度の創始者とされています。彼は財産を貧しい人々に分け与えた後、エジプトの砂漠で隠者として生活を送りました。しかし、その孤独な生活の中で、悪魔による様々な誘惑に苦しめられたと伝えられています。

作品

ボスは、この聖アントニウスの苦悩を、自然の荒野の中で思索に耽る姿として描いています。聖アントニウスは大木の洞に座っており、まるで木が彼を守っているかのようです。木の上部には藁葺きの屋根があり、鐘が取り付けられています。聖アントニウスは書物を持たず、閉じられた書物がベルトに吊り下げられています。彼の足元には豚が横たわり、その耳には鈴が付けられています。これは、聖アントニウスの象徴的な持ち物です。

画面には多くの悪魔が描かれていますが、聖アントニウスの瞑想を直接邪魔するような行動は見られません。悪魔たちは、聖人を攻撃する機会を伺っているように見えます。画面左の中景には礼拝堂があり、橋を渡った先に門があります。門の屋根にはタウ十字が付けられており、ここが聖アントニウスの住居であることを示唆しています。

悪魔

この作品の大きな特徴は、悪魔たちが聖人を直接攻撃していない点です。しかし、彼らは聖人を攻撃する準備をしており、その緊迫感が画面全体に漂っています。前景の悪魔たちは聖人に接近しようとし、左隅の怪物は舌なめずりをしています。右の水辺では、悪魔が水面から顔を出して様子を窺っています。また、ナイフを持った悪魔が弓を構え、鳥の姿をした悪魔が木槌を振り上げています。

中景では、複数の悪魔が礼拝堂に向かっています。彼らは梯子を担いだり、盾で身を隠したりしながら進んでいます。礼拝堂では火が放たれており、建物が赤く照らされています。特に興味深いのは、左隅で水の入った容器を運ぶ悪魔たちです。彼らは聖アントニウスの背後で燃え上がる炎に水をかけようとしています。この炎は、麦角中毒の症状である「聖アントニウスの火」を暗示していると考えられています。

制作

ボスの描法は、彼の他の作品と共通しています。彼は白亜地の上に淡い灰色の下塗りを施し、伝統的な顔料を使用しています。絵具は非常に薄く塗られていますが、重ね塗りや修正も多く見られます。悪魔の図像は、日常生活で見られる物を組み合わせて構成されています。例えば、鳥の姿をした悪魔が被る漏斗は、ボスがよく使うモチーフです。下絵は輪郭を描く程度で、制作過程で変更も加えられています。支持体は2枚のオーク材で構成されており、年輪年代学の調査によると、1464年から使用された可能性があるとされています。

後代の変更

この作品は、元々上部がアーチ状でしたが、19世紀に角が追加されて長方形の板絵に変更されました。また、聖アントニウスや背景など、いくつかの部分が損傷を受け、修復されています。この修復は、ボスの画風に似た技術で行われたため、フランドルで修復されたと考えられます。

来歴

絵画は16世紀半ばにコルテス侯爵が所有していたことが知られています。その後、スペイン国王フェリペ2世が購入し、エル・エスコリアル修道院に送られました。1839年にプラド美術館に収蔵されるまで、250年以上エル・エスコリアル修道院で保管されていました。

ギャラリー

この作品は、ボスの芸術的な才能を示す傑作です。彼の他の作品と同様に、幻想的で独創的な世界観が魅力です。この作品を通じて、聖アントニウスの苦悩や悪魔の誘惑といったテーマについて深く考えることができます。

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