腹中の敵

腹中の敵

あらすじ

『腹中の敵』は、松本清張が1955年に発表した短編歴史小説です。物語は、織田信長が朝倉義景や浅井長政を討った後の正月の祝賀の場から始まります。丹羽長秀は、その賑やかな様子をどこか所在なさげに眺めていました。隣にいた滝川一益は、羽柴秀吉が信長の物真似をしておべっかを使っていると嘲笑します。長秀は苦笑しながらも、一益の気持ちが理解できました。当時、秀吉は目覚ましい出世を遂げており、一益は彼に対して漠然とした不安を抱いていたのです。

長秀は、秀吉のへらへらとした態度とは裏腹に、雑草のようにしぶとい意志を持っていることに気づいていました。そのため、秀吉が徐々に取り立てられていくのを、他の者よりも好意的に見ていました。しかし、長秀は秀吉の躍進を先輩として認めつつも、心のどこかで「これ以上は伸びて欲しくない」という気持ちを抱いていました。今の秀吉に対する寛容な気持ちをいつまでも持ち続けたいと願っていたのです。

しかし、秀吉の活躍は目覚ましく、その地位は次第に上昇していきます。それに伴い、長秀の平静は少しずつ揺らいでいきます。清須会議で信長の後継者について柴田勝家と秀吉の意見が対立した際、長秀は秀吉の考えを支持しましたが、すぐに不安に襲われました。秀吉がさらに権力を増すのではないかという危惧から、顔が青ざめるほどでした。

その後、長秀は秀吉にずるずると引きずられていきます。秀吉は長秀を恩人として立てますが、長秀は心の中で反発しながらも、彼から離れることができません。気が進まないまま、秀吉を後押しするような立場ばかりを取ってしまう自分の優柔不断さに、長秀は情けなさを感じていました。

エピソード

作者の松本清張は、この作品について「丹羽長秀が胆石を患っており、死ぬ時に自分の腹を裂き、中の石を取り出して、長年自分を苦しめた敵だと言って切り刻んだという話を聞き、その石を秀吉の顔に見立てた」と語っています。このエピソードからも、長秀の秀吉に対する複雑な感情を読み取ることができます。

小説家の北村薫は、本作を「主人公の丹羽長秀が、秀吉の姿を見ながら自己分析を繰り返す点が、菊池寛の作品に似た手法である」と評価しています。長秀の心の動きを深く掘り下げていく描写は、読者に人間の内面の複雑さを感じさせます。

『腹中の敵』は、戦国時代の武将たちの権力闘争を背景に、人間の心の奥底にある複雑な感情を描いた作品です。丹羽長秀の葛藤を通して、人間の内面にある弱さや矛盾を鮮やかに浮き彫りにしています。歴史小説でありながら、現代を生きる私たちの心にも響く普遍的なテーマを扱った作品と言えるでしょう。

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