舞姫 (川端康成)

川端康成の長編小説『舞姫』：敗戦後の日本と人間の孤独

『舞姫』は、川端康成が1950年から1951年にかけて朝日新聞に連載し、後に単行本化された長編小説です。この作品において川端は、自身の作品世界を特徴付ける重要なモチーフである「魔界」という言葉を初めて使用しました。

物語の中心は、かつてプリマ・バレリーナとして活躍した波子とその家族です。彼女は夫・矢木、娘・品子、息子・高男と、北鎌倉にある実家の別荘で暮らしています。波子は娘に自身の夢を託し、品子もまたバレリーナを目指しています。しかし、この家族は既に崩壊の兆しを見せており、それぞれの心の内には深い孤独が潜んでいます。

夫の矢木は波子の財産に頼りきり、金銭に執着する守銭奴です。かつては波子の家庭教師であった矢木は、波子の裕福な家庭に助けられながら国文学者として生活していました。戦争によって自宅を失い、戦後は波子の実家の別荘で生活する中、さらに細かい金銭にも口出しするようになります。息子である高男は、両親や国家に対して冷めた態度を示し、父親の金銭に対する執着にも気づいています。

波子は、20年前に交際していた竹原と密かに会っています。プラトニックな関係ではありましたが、波子の心には竹原への深い愛情が残っていました。しかし、波子は竹原への想いを抑え込みながら、夫からの求めに応じていました。その行為は、もはや幸福ではなく、悔恨と屈辱に満ちたものとなっています。

一方、娘の品子はバレエに情熱を燃やしながら、かつての師匠である香山への未練を抱えています。そして、バレエ団のダンサーである野津からの求婚にも迷いを抱いています。

『舞姫』は、これらの登場人物たちの複雑な人間関係を通して、敗戦後の日本の社会構造の崩壊と、美や充足を求め続ける人間の孤独を描いています。特に、波子の過去の栄光と現在の孤独、矢木の金銭への執着、そして子供たちの閉塞感といった様々な要素が絡み合い、複雑で陰鬱な雰囲気を醸し出しています。

川端康成はこの作品で「魔界」という概念を導入しましたが、それは従来の仏教的な「魔界」とは異なる、人間の煩悩や心の闇を表現するものです。川端は、人間の生の本質を「魔界」の中に見ており、その「魔界」を生きる人間の姿に、一種の美しさを見出していると言われています。

『舞姫』は、登場人物たちの内面世界を繊細に描写し、その複雑な感情や葛藤を克明に描き出しています。そして、その描写には、川端康成独特の繊細な文体が用いられています。

1951年には成瀬巳喜男監督によって映画化もされ、高峰三枝子が波子を演じました。映画では小説の持つ陰鬱な雰囲気と、登場人物たちの内面の葛藤が巧みに表現されています。

『舞姫』は、単なる家族小説や恋愛小説にとどまらず、敗戦後の日本社会の暗部と、人間の心の深淵を深くえぐる、川端康成の代表作の一つとして高く評価されています。多くの批評家や研究者によって様々な角度から分析され、その文学的価値は現在もなお高く評価されています。川端康成の後期の作品群に繋がる重要なテーマやモチーフが既にこの作品の中に見て取れることも、この小説の価値を高めています。

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