花魁 (高橋由一)

高橋由一『花魁』：時代を映す写実の肖像

高橋由一の油絵『花魁』は、明治初期の洋画における写実主義の傑作として知られています。新吉原の稲本楼という遊郭にいた花魁、小稲をモデルに、1872年（明治5年）に描かれました。この作品は、由一の代表作である『鮭』と並び、国の重要文化財に指定されています。

制作の背景

江戸時代末期、安政の大地震や度重なる火災に見舞われながらも、新吉原は遊郭としてその命脈を保っていました。しかし、明治維新後、新政府は西洋諸国からの人身売買批判を背景に、遊郭への規制を強化。それでも世間には、花魁といえば華やかで美しい女性というイメージが根強く残っていました。

そんな中、花魁という存在が失われゆくことを惜しむ人々がいました。彼らは、象徴的な存在としての花魁の姿を記録に残したいと考え、由一に制作を依頼したとされています。当時の東京日日新聞には、由一が花魁を描く様子が報じられ、その仕事ぶりは、写実的な洋風画の技法を習得しようと奮闘する姿として伝えられています。

モデル：四代目小稲

モデルとなった四代目小稲（本名：亀井お定）は、7歳で遊郭に売られ、稲本楼の花魁となりました。稲本楼の主人は、彼女の才能を見抜き、三味線や茶道などを学ばせました。お定は努力を重ね、15歳で「左近」という名でデビュー。後に四代目小稲を襲名し、花魁の最高位である「呼出し昼三」として人気を博しました。しかし、1872年（明治5年）に娼妓解放令が発布されると、彼女は遊郭を離れ、神田で食堂を始めたと伝えられています。

由一が花魁のモデルを探していた際、多くの花魁が錦絵での表現を望みましたが、小稲はこれを承諾。豪華な衣装と髪飾りを身につけ、由一の前に座りました。小稲がモデルを引き受けた背景には、花魁の髪型である兵庫下げ髪の保存と、稲本楼の宣伝という思惑があったと考えられています。

作品の特徴と評価

由一は、花魁を単なる美しい女性としてではなく、ひとつの「静物」として捉え、あるがままの姿を描き出しました。完成した絵は、当時の浮世絵の美人画とは異なり、表情は硬く、疲れた様子で虚空を見つめる女性の姿が描かれていました。それは、世間のイメージとはかけ離れた、現実の生活を抱える一人の人間としての花魁の姿でした。小稲自身も、「こんな顔ではない」と怒ったという逸話が残っています。

美術史家たちは、『花魁』を人物の内面まで描き出した作品として高く評価しています。また、日本独自の色彩感覚が西洋の油絵技法で表現されている点も注目されています。この作品は、吉原という歓楽街が終焉を迎える直前の時代を記録した、貴重な証言としても評価されています。

制作年代論争と再評価

『花魁』の制作年代については、1872年（明治5年）とするのが定説ですが、一部の美術史家からは、由一の初期の作品としては完成度が高すぎるとの指摘がありました。しかし、その後の研究により、1872年制作説が有力となっています。

長らく忘れられていた高橋由一は、1964年（昭和39年）の回顧展や、1971年（昭和46年）の展覧会などを経て再評価され、『花魁』や『鮭』といった作品が国の重要文化財に指定されるに至りました。

2024年には、東京藝術大学で「大吉原展」が開催され、『花魁』の修復後初の展示が行われました。この作品は、今もなお多くの人々を魅了し、時代を映す鏡として、その価値を高めています。

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